創業30年の信頼と実績
ユトリロ 絵画買取で失敗したくない方

ユトリロの売却をご検討でしたらまずは翠波画廊の査定額をお確かめください。

選ばれている理由

翠波画廊ではユトリロの作品は人気がありとてもよく売れています。当画廊のお客様でユトリロの特定の作品を探してほしいとのご依頼も多くいただいております。
そのため当画廊の絵画買取サイトではユトリロの絵画(油彩・水彩・版画)の買取には特に力を入れております。
翠波画廊の買取サイトが、お客様の大切のされていた作品を気に入ってくださり大切にしてくださる次のお客様のもとへと橋渡しさせていただきます。

買取り3つの約束

1.小売りで培った、まごころの接客絵をお買い求めいただくお客さま、絵をお売りになりたいお客様共にご満足いただけるよう、
お客さま第一で活動しております。

2.長年の実績から相場に基づいた適正な査定年間1500点ほどの作品を販売していく中で同数の作品の仕入れを行っております、仕入れで養った相場観をいかして適正な査定価格を出させていただきます。

3.大切にされてきた作品を次のお客様へと橋渡し家で大切にされてこられた美術品を大切にしてくれる次のお客様へと橋渡しさせていただきます。

お客様への3つの安心

1.ご相談、お見積もりなど、査定は無料今の相場を知りたい、買取価格を知ってから売却を検討したい等、お気軽にご相談ください。
ご相談は無料です。

2.8日以内ならキャンセル可能(出張買取時)8日以内でしたら、買取キャンセル、返品の対応をさせていただきます。
(店頭買取の場合は対象となりません)

3.個人情報保護、セキュリティ管理翠波画廊では、しっかりとしたセキュリティ管理のもと、お客様の大切な個人情報の徹底管理を義務付けております。ご安心ください。

さらに詳しく

ユトリロ作品の査定ポイント

近年、世界的な人気が非常に高い状態は続いておりますが、価格は市場相場に応じて変動しております。少し時間が経っただけで変化してしまう可能性もございますので、お売りになる場合は、お早めにご相談ください。

油彩、パステルなど肉筆作品の査定ポイント

油彩作品

ユトリロは1910年~14年、「白の時代」の頃に描かれた作品が有名で人気もあり、高価買取させていただきます。
また、ユトリロに限らず買取価格は図柄によって大きく変わります。ユトリロ作品のなかでも堅牢な石造りの建物が遠近法を駆使し立体感を伴って、そこに建っているかのように描かれている作品は、人気もあり、一般的に相場も高いので、高価買取させていただきます。ユトリロの肉筆画については、贋作も多いため、翠波画廊では鑑定書がついている作品を取り扱っております。ユトリロ作品の著作権継承者であり、鑑定家の故ジャン・ファブリス氏とセドリック・パイエ氏による鑑定書が必要となります。お持ちの作品に鑑定書が付いていない場合は、翠波画廊が鑑定書の取得のお手伝もいたします。作品の買取は鑑定書が付いてからとなりますが、まずは鑑定書が取れた場合の相場、買取のお値段をお伝えしますので、気軽にご相談ください。

<特に高価買取対象図柄>
モンマルトル風景

<保存状態>
画面上にヒビや割れなどがないかを拝見します。 状態が悪い場合は修復が必要となる場合もあるため、査定額が下がります。

版画作品の査定ポイント

版画作品

モチーフについては、油絵と同じくモンマルトルの街並みを描いた作品は人気もあり、相場・買取価格が高くなります。
また、版画作品でも、ユトリロ本人のサイン入りはサインなしよりも値段が高くなります。翠波画廊では、版画も高価買取させていただいておりますが、版画作品の場合、経年による色の退色、湿気からくるカビでシミが出てしまった場合などマイナスの査定になってしまいます。画像をお送りいただいた段階で、退色はおおよそみることができるのですが、薄いシミなどは画像だけでは分からないことがあります。画像をお送りいただいた段階では、相場をお知らせし、問題が無ければそのお値段で買取させていただいておりますが、現品を拝見し、シミなどが見つかった時には価格が下がってしまうこともございます。
作品を眠らせておくのが一番もったいないことですので、もし何かご不安なこと、疑問などがございましたら、お気軽にご相談ください。

ユトリロ作品の鑑定機関

ユトリロ協会の鑑定書

翠波画廊では、油彩、水彩、素描などの肉筆作品は、公式の鑑定機関とされるユトリロ協会の鑑定書付きのものだけを取り扱いご紹介しています。

モーリス・ ユトリロ 略歴

1883年 12月26日、マリー=クレマンティーヌ・ヴァラドン(シュザンヌ)の息子としてパリ18区ポトー通り8番地で生まれる。
1898年 コレージュ・ロランに入学するが、中退、職を転々とする。
1904年 アルコール中毒のため、パリのサン=タンヌ病院に入院する。4ヶ月後、モンマニイの家に移り、最初はデッサン、その後本格的に絵を描き始める。

190408 モンマニ―時代

1905年 特にモンマニーとパリのセーヌ河岸を描く。
1908年

印象派(シスレー、ピサロ)の影響を受け、糊や砂とともに石灰石やセメントを黒、ジンクホワイト、イエローオーカー、ウルトラマリン、マッダレーキといった限られた絵の具に混ぜてマチエールを創る。

1909年

作品が初めて画商のルイ・リボードに売れる。

191014 白の時代

1910年 カッペルレ兄弟とポール・ガリマールがユトリロの作品を複数買う。
1914年

3月2日、ホテル・ドルオーでの競売会「熊の皮」で、ユトリロの作品が初めて高値で売れる。パリのモン=スニ通り33番地でカフェを経営していたゲイ親父の所に泊まり数週間で数点の傑作を制作。「白の時代」の絶頂期。

1919年

ユトリロの重要な作品による展覧会がパリのルプートル画廊で開かれる。

192055 色彩の時代

1921年

サンテ刑務所に未決勾留される。モンマルトルの丘への立ち入りを禁じられ、家族は彼をボージョレーに連れていく。葡萄園主の家でアルコール中毒の治療。フランシス・カルコが、ヌーベル・フランセーズ社から27点の絵とデッサンの図版が入ったユトリロについての研究書を出版する。

1922年

「色彩の時代」の入り口にあって、奥行きのあるハイパーリアリズムを試み始める。今までで最も強い線が、懸命に自分を奮い立たせよう、構築しようとするユトリロの衰えつつある気持ちを暗示している。

1925年

セルゲイ・ディアギレフのロシア・バレエ団のために舞台装飾をする。

1928年

8月1日、レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエ章と教育功労章を授与される。

1935年

4月8日、リュシー・ポーヴェルと結婚式をあげる。

1938年

4月7日、シュザンヌ・ヴァラドンが死去する。

1955年

10月17日、パリ市から金メダルを授与される。テルトル広場で、サシャ・ギトリィ監督の映画「もしパリが私に物語っていたなら」に出演する。

11月5日、モーリス・ユトリロはダックス(ラーンド県)で死去する。

 

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