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バスキア

バスキア(BASQUIAT) 絵画作品販売

バスキア、話題のシルクスクリーン作品を取り揃え販売しております。

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バスキアの魅力

夭折の天才画家

バスキア

BASQUIAT

年〜

バスキア作品を展示販売しています

若くしてスターダムへと駆け上がり、わずか10年の活動期間で数多くの作品を残すも、27歳で短い生涯を閉じた天才画家。
世界中の関心を惹きつける作品を多数残し、昨今再評価が進むなかで、その人気も高まっています。

黒人アーティストとして初めて世界的に高い評価を得たバスキアですが、その魅力は、ダイナミックでエネルギー溢れる色彩や筆致の中に、メランコリックで繊細な人間誰もが持つ孤独感が観るものの心を打つからでしょう。
魂の叫びともいえる生命力に満ちあふれ、多くのコレクターを魅了しています。

2017年5月には、ZOZOの創業者である前澤友作さんがバスキアの《Untitled》を、1億1050万ドル(約120億円)で落札。
バスキアのオークション史上最高落札額を更新しました。また2019年秋に六本木・森アーツギャラリーにて開催された、日本初の大展覧会「バスキア MADE IN JAPAN展」には多くの人が訪れ、国内での人気もますます高まる一方です。

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バスキアの生涯とは

<幼少期>
1960年のニューヨーク・ブルックリン、ジャン=ミシェル・バスキアは、ハイチ系移民の父親とプエルトリコ系移民の母親のもとに生まれました。ニューヨークの美術専門学校として知られる聖アンズ学校に通い、幼少期より芸術に親しみます。
8歳のとき、バスキアは大きな交通事故に遭い入院。そんな彼に母親は「グレイの解剖学」という小学生には少し難解と思われるような本を与えますが、彼は熱心にその解剖学書を読んだそうです。その本は、出版から約1世紀経った今でも解剖学の有名な著書として知られていますが、当時少年だったバスキアの芸術家人生に、大きな影響を与えたと言われています。
さらに小学生時代のバスキアは、英語のみならず、フランス語やスペイン語の習得にも興味を示し、幼少期より様々な言語で幅広いジャンルの本を読みました。

<青年期>
その後、早くして母親を亡くしたバスキアは、しばらく父親と妹たちと共に暮らしていましたが、17歳で家を出てアーティストとしての活動を本格的に始めます。
Tシャツやポストカードを制作・販売することで生活費を稼ぎ、友人アル・ディアスと共に「SAMO」というユニットを結成。2人はニューヨークの街中に、多くのグラフィティ・アートを描きました。
その力強く政治的なメッセージは、ニューヨーカーたちの間でも少しずつ話題となり、バスキアの才能を認める人物があらわれ始めます。ほとんどホームレスのような状態だった彼らは、1枚の作品をおよそ250万円で販売するようなアーティストとなったのです。

<1980年代、ウォーホルとの出会いと早すぎる死>
19歳になったバスキアは、あるレストランでアンディ・ウォーホルとの出会いを果たします。ウォーホルは若きバスキアの才能を認め、2人は意気投合。コラボレーション作品なども制作しています。
1980年にはニューヨーク「タイム・スクエア・ショー」でグループ展に出品し、はじめて自身の作品を公の場で展示します。この展覧会をきっかけに、多くのキュレーターやギャラリストからの注目を集め、同年MoMA PS11で開催された「ニューヨーク・ニューウェーブ」にも出品することとなります。
しかしこの頃から、”自分の作品がいつか注目を浴びなくなったらどうしよう”といった不安から、ドラッグに手を染めてしまいます。そして1987年、心の拠りどころであったアンディ・ウォーホルが亡くなったその翌年、バスキアはヘロインのオーバードーズにより、わずか27歳という若さでこの世を去ってしまうのです。

なぜバスキアの絵は評価されているのか

バスキアは20世紀のモダニズムの流れを汲み、抽象的でありながら具象的な「新表現主義」を確立しました。
彼の作品は、一見子供の落書きのようにみえますが、実はかなり強い政治的なメッセージが隠れています。当時、アメリカのアート業界において、アーティストはもちろん、ギャラリストやコレクターに至るまで、やはり白人が多くを占めていました。
移民の両親を持ち、黒人として生まれたバスキアは、自身の作品のなかに、貧富の差やなくならない黒人差別への怒りや悲しみを表現しました。
その独自の主題や、黒人を連想させるモチーフや文字を並べた表現方法は、当時のアートシーンにおいても大きな話題となりましたが、27年という短い一生のなかで築き上げた、そのアイデンティティや彼の哲学は、今もなお、世界に問題提起し続け、高く評価されています。
こうした奴隷制にまつわる出来事や人種問題だけでなく、バスキア自身が大ファンであったモダン・ジャズなどの音楽も、作品のテーマとして頻繁に取り上げていました。
彼のヒーロー的存在であった、チャーリー・パーカーやジミ・ヘンドリックスなどのミュージシャン、そして彼らのレコーディングがテーマとなった作品は、30点を超えます。
多くのミュージシャンやアーティストが、彼の作品に心を動かされた様子は、バスキアをテーマとした映画の数々でも見ることができます。

バスキア、近年のオークション状況

オークションに出品されたバスキアの作品のなかで、最高額の約142億円で落札されたのは、ブルーの背景に頭がい骨が描かれた「Untitled」(1982年)。2017年5月に開催されたニューヨーク「Sotheby’s(サザビーズ)」のイブニング・セールで、ZOZOの前澤友作氏が落札し、日本国内でも大きな話題となりました。
2021年5月11日、同オークションハウスのイブニング・セールには「グレイの解剖学」がモチーフとなった「In This Case」(1983年)が出品され、8人もの入札者が現れました。本作は約120億円で落札され、2002年にガゴシアン・ギャラリーが約1億円で同作品を入札してから、約19年で価格が約100倍に高騰したということで、世界中のメディアが報じました。
直近では2022年5月にフィリップスが開催したイブニング・セールで、前澤友作氏のコレクションであった「Untitled」(1982年)が約112億円で落札され、バスキアのオークションレコードでもTOP3に入る高額を記録しました。

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バスキア略歴

BASQUIAT

1960年 ニューヨーク、ブルックリンに生まれる。母の影響で幼い頃より絵を描くことに興味を抱く。
1977年 17歳の頃より地下鉄、スラム街の壁にスプレーペインティングを始める。高校を中退。
1978年 キース・へリングや、バーバラ・クルーガーの助力で、ニューヨークで個展を開くようになる。
1983年 アンディ・ウォーホルと出会う。互いの作品に刺激を受け、共同制作をするように。
1987年 この年ウォーホルが死去したことにより、バスキアの孤独が深まったと言われている。
1988年 ドラッグのオーバードースにより死去。享年27歳。
2019年 森アーツセンターギャラリーにて、日本初となる本格的な回顧展が開催され、話題を集めた。

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