友人が描いてくれた絵であっても気に入らない?
~ドガもマネも意外と気難しい
肖像画を描くのは難しいものです。
写真ではない以上、そこにはどうしても画家の主観が表れるからです。
あなたに画家の友人がいて、その人があなたの肖像画を描いてくれたとしましょう。
その絵が気に入らなかったとき、あなたは描き直しを要求できますか?
それとも黙ってにっこり受け取って、そっと物置にしまいますか?
かつて19世紀のフランスで、とある人が、友人の画家に肖像画を描いてもらいました。
ところが、できあがった絵の右側部分を気に入らなかったその人は、描いた画家に告げずにこっそりその絵を切って、左側だけを飾っていました。
やがてその事実は、絵を描いた画家本人の知るところとなります。
依頼人の感情・・・その真相は?
切り裂かれた絵を見た画家は怒ってその絵を持ち帰ったと言われています。この話に出てくる、絵を描いた画家の名前はドガ。
モデルになった人もまた画家で、名前はマネ。
どちらも美術史に出てくる有名な画家で、若い頃からの友人同士でした。
いったいなぜそんなことになったのでしょうか。
ドガ「マネとマネ夫人像」1868-1869
その理由は、マネ夫人のシュザンヌにあります。
実は、マネが切り取った部分にあったのは、ピアノを弾くシュザンヌの顏でした。
現在は、北九州市立美術館にあるこの絵の右側は、一度切り取ったキャンバスを継ぎ足したかたちになっています。
それにしても、いったいマネは絵のどこが気に入らなかったのでしょう。
当時、マネ自身が、ピアノを弾くシュザンヌを描いているので見てみましょう。
ドガ「マルグリット・ドガの肖像」(翠波画廊取扱い作品)
ドガはリアリスト
マネ夫人のシュザンヌはややふくよかな体型をしていましたが、それが気にならないくらい良い感じに描けています。愛する自分の妻なのだから、美しく描くのが当然です。
リアリストのドガは、もしかするとシュザンヌをあまりきれいに描かなかったのかもしれません。実際、ドガの絵の中のマネも、とうていイケメンには見えません。
ちなみに、マネ自身の自画像は次のようなものです。
描いた時期が10年違うとはいえ、ドガの描いたものとは、だいぶ印象が異なって堂々としています。
マネ「自画像」1878-1879
写真だと次のようになります。どちらかといえばドガの絵のほうに似ていますね。
エドゥアール・マネ(写真)
当時も今も肖像画は対象を美化して描くものでしたが、ドガは人間らしさのにじみ出る絵を好みました。
ですからドガの描いたシュザンヌがどのようなものであったのかもだいたい想像がつきます。
もしかすると、絵を気に入らなかったのは、マネではなくシュザンヌ自身だったかもしれません。
女性のほうが美醜に敏感ですし、この件の後もマネとドガの友情は壊れていないからです。いずれにしろ、切り落とされた部分が残っていないので、真相はやぶの中です。
マネとシュザンヌの複雑な関係
ちなみに、マネとマネ夫人シュザンヌの関係は少し複雑です。シュザンヌが、マネ家に住み込みのピアノ家庭教師として雇われたのは1851年。シュザンヌが21歳、マネが19歳のときです。
表向きはピアノ教師でしたが、実は彼女はマネの父親の愛人だったと言われています。ところが、マネ家に来たシュザンヌは急速にマネと親しくなりました。
そして翌1852年、シュザンヌは息子のレオンを出産します。レオンの父親がマネなのか、マネの父親だったのかは未だにわかっていません。レオンは、表向きはシュザンヌの弟として、マネ家で一緒に育てられることになりました。
マネの父親は高級官僚で裕福なブルジョア階級でしたから、愛人や愛人の子どもを養うぐらいの経済的余裕がありました。
若い頃は売れない画家だったマネも、両親の援助のおかげで画家を続けることができたのです。
マネの父親が亡くなったのは1862年のことです。
密かに交際を続けてきたマネとシュザンヌは、翌1863年にようやく正式に結婚します。マネは31歳、シュザンヌは33歳、レオンは11歳になっていました。
それ以前から、レオンの養父として良い関係を築いていたマネでしたが、シュザンヌと結婚後も、レオンを正式な実子として認知することはありませんでした。それを考えると、やはりレオンの父親はマネではなかったのかもしれません。
しかし、実の父ではなくとも、マネとレオンの仲は良好でした。
マネはレオンをモデルにした絵を何枚も残していて、その絵でレオンの成長過程をたどることができます。レオンが社会人になる際には、友人のドガに頼んで、ドガ家の銀行に就職させてもらったくらいです。
マネ「レオン・レーンホフの肖像」1868
印象派のリーダー
マネは1883年、51歳の若さで世を去ります。
マネの死後、残されたレオンとシュザンヌはマネの仕事や手記をまとめました。
印象派の画家たちの良き先輩であったマネは、後輩のモネや友人のドガや義妹のベルト・モリゾらの奮闘によって、徐々に名声を獲得していきました。
マネは、友人のドガばかりでなく、周囲の人間のすべてとそれぞれに良い関係を築いていたようです。
そんなマネだったからこそ、印象派展には一度も参加しなかったにもかかわらず、印象派の精神的なリーダーと目されているのでしょう。
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