近代的自意識を持った最初の画家
~版画を売りまくったアルブレヒト・デューラーの孤独
翠波画廊代表・髙橋芳郎の新刊『画商が読み解く 西洋アートのビジネス史』が全国書店で好評発売中です。今回は同書からページ数の都合で削除した原稿をご紹介します。
ボツにした部分ではありますが、書籍としての統一感を取るためにカットしたもので、読みごたえは他のページにひけをとらないと思います。このまま埋もれさせるには惜しい内容なのでぜひご覧ください。
ルネサンスより前の画家は自画像を描かない
1475年(右端の男性が画家の自画像)
15世紀前半までルネサンスの運動はイタリアの諸都市国家にとどまっていましたが、15世紀後半には国を超えた広がりを見せます。
フランス国王フランソワ1世がレオナルド・ダ・ヴィンチを自国に招くなど、イタリアのルネサンス美術の素晴らしさが周辺国にも伝わっていったからです。
こうしてイタリアの北方にある、フランス、ドイツ、イングランド、オランダ、ポーランドなどで、それぞれのルネサンス文化が花開きました。これを北方ルネサンスと呼びます。
北方ルネサンスの中でも特筆すべきは、ミケランジェロと同世代のドイツの画家アルブレヒト・デューラーです。
デューラーといえば、この時代には珍しく単独自画像を数多く残している自意識の高い作家として知られています。
そもそも中世までの画家にとって個性は出してはならないものでしたから、作品のなかに自分の顔を描くなどもってのほかでした。神やイエスなど聖人以外の絵もめったに描かれませんでした。
しかしルネサンス期になると、神ならぬ人間が描かれるようになり、そのなかで自らをモデルとして描く画家が現れはじめました。
たとえば、1475年に描かれたボッティチェリ《東方三博士の礼拝》は、パトロンであるメディチ家のコジモ・デ・メディチとその二人の息子を、人間の叡智を代表する東方の三博士として描いた注文絵画ですが、三博士と幼子イエスを取り巻く群衆の右端に、ボッティチェリはこっそりと自分自身をまぎれこませています。
自画像は鏡を見ながら描くものであるため、一人だけ目線が鑑賞者のほうを向いているのが特徴です。
真正面からの自画像という発明
やがて1500年になると、北方ルネサンスのドイツ人画家デューラーが、真正面の構図で単独自画像を描きました。これは前代未聞の出来事でした。
すでに述べたようにルネサンスまでの画家は自画像を描きませんでした。14世紀後半になってようやく自分を描くようになったとはいえ、そのほとんどは群衆の中の一人として自分を描くような控えめなものでした。
しかしデューラーはよほど自己愛が強かったものか、何枚もの単独自画像を残しました。また、それまでの自画像はキャンバスに向かって斜めにおいた鏡に写る自分を描く四分の三正面像が多かったのですが、デューラーは正面からの構図の自画像に挑戦します。
人物を正面から描く構図は、それまでは成人のイエス・キリストを描くためのものでした。
ダ・ヴィンチ《サルヴァトール・ムンディ》がイエスを描いたものであるとわかるのは、正面からの半身像であるからです。
デューラーは非常に自負心が高かったため、自分をイエスになぞらえて自画像を描いたと考えられています。
同時期に描かれたルネサンスの巨匠ラファエロの自画像ですらも四分の三正面像なので、真正面からの自画像がかなり特異なものであることがわかります。
デューラーの自画像に見られる自意識は、まさに今日のアーティストに見られるものと同質でした。NHKの音楽美術番組「びじゅチューン!」の動画『1500年のオーディション』を見てもそれがわかります。
[びじゅチューン!] 1500年のオーディション | NHK
レオナルド・ダ・ヴィンチ
《サルヴァトール・ムンディ》1500年頃
アルブレヒト・デューラー
《自画像》1500年
人気がありすぎてパクられまくったデューラー
の頭文字を使ったサイン
自己主張の強いデューラーの発明は正面からの自画像にとどまりませんでした。
自画像の顔の左側をよく見ると、AとDを組み合わせたマークが見つかります。実はこれは絵が本物であることを示すためにデューラー自身が考案したサインです。
当時のデューラーは大変な人気版画家だったので、各地でデューラーのニセモノ版画がたくさん刷られていました。
大流行の商品が出ると、それによく似たニセモノが作られて流通するのは今も同じですが、現代は特許権や著作権や登録商標があるので、そっくり同じものはなかなか作られません。
しかし15~16世紀にはそのような概念はなく、丸パクリの版画が流通していました。
右:マルカントニオ・ライモンディ《病院のキリスト》1506年
たとえばこちらの《病院のキリスト》の版画は、左がデューラーのオリジナルで、右がイタリアのライモンディという版画家が作った模倣作品です。スキャナやコピー機のない時代に、手描きの銅版画でこれだけ精巧に写し取るのですから、ライモンディも相当腕のいい版画家だったことがわかります。
デューラーが初めて起こした著作権裁判
当時は著作権という概念がなく、誰かの発明したアイデアや構図などは公共の共通財産のような理解をされていました。そのため模倣版画が流通してオリジナルの売上が落ちても、デューラーは文句を言うことができませんでした。
自尊心の高いデューラーは我慢ができず、1506年にわざわざヴェネツィアまで行ってライモンディを裁判所に訴えました。これが史上初の著作権裁判になります。
ほかにもデューラーの版画をパクっていた版画家はたくさんいたのに、なぜライモンディだけを訴えたのかといえば、彼の作品の流通が多くて最も訴えやすかったからです。
他の版画家の場合、模倣をするにしても多少は気兼ねして、一部を変更したり、左右を反転させたりしていたのですが、ライモンディの場合はデューラーが自分で考案したサインまでそのままに彫っていました。
さきほどの図のいちばん下、中央の人物と右側の人物の足元の間に四角い板が立てかけてあって、その中にアルブレヒト・デューラー(Albrecht Dürer)のAとDを組み合わせたサインが見えます。ライモンディの模倣作のほうにも、そのサインは刻まれています。
アイデアや構図の模倣は許されても、誰が描いたかを証明するサインまでコピーするのは、デューラーの作だと錯誤させる意図があり、明らかに反則だと訴えたのです。
裁判の結果、構図のコピーは問題になりませんでしたが、サインのコピーは違反となりました。これはこれで画期的な判決でしたが、したたかなライモンディはその後も、サインの代わりに何も描かれていない板を描いて、堂々とデューラーの模倣版画を制作・販売し続けたそうです。
それどころか、ライモンディ作品は高名なデューラーに訴えられるほどに品質の高い模倣品として、その名声や売上が上がったのではないかとの見方すらあります。なにしろその後の人々は、サインの削られた空白の板を見るだけでライモンディを連想するようになったからです。
炎上スキャンダルによって逆に人気が出てしまうのは現代でもたまに見られる光景です。
右:マルカントニオ・ライモンディ《羊飼いの訪問》1515年(右下に空白の板)
今回のコラムの内容に興味を持たれた方は、
髙橋芳郎『画商が読み解く 西洋アートのビジネス史』もぜひご覧ください。
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