ナチスが造った贋札(その1)
~ニセ札つくりに協力したのは強制収容された画家?
贋作版画が世間を騒がせていますが、贋作が作られるのは美術界だけではありません。
かつてナチス・ドイツは、敵国イギリスやアメリカの贋札づくりに取り組みました。
敵国の贋札を大量に作ってばらまくことで、その通貨価値を落として、経済を混乱に陥れようとしたのです。
しかし、紙幣は贋札防止のために高度な技術を施されています。
いったいナチスはどのようにして贋札を造ったのでしょうか。
国家ぐるみの贋札造り
そもそも敵国の贋札を作ろうというのはナチスだけの蛮行ではありません。
18世紀半ばにはプロイセンが、戦争を勝ち抜くために敵対する国の贋札を作りました。イギリスもアメリカ独立戦争時にアメリカ紙幣の偽造に手を染めました。
19世紀初頭のフランス革命時には、ナポレオンがヨーロッパ各国の紙幣を偽造して戦費を調達したのに対し、イギリスもフランス紙幣の贋札を大量に造って対抗しました。
20世紀初頭、第一次世界大戦で敗北したドイツは、賠償金の支払いのためにフランスやソ連の贋札を造りました。
第二次世界大戦時にも、ナチス・ドイツだけでなく大日本帝国も中国民国の贋札を造りましたし、アメリカも日本の軍票の偽造を考えました。
イギリスでも、敵国ドイツの贋札製造作戦を考えましたが、発覚時の批判とリスクを怖れて中止したとされています。
しかし、ナチスが大量に造った偽ポンド紙幣は、イギリス・ポンドの価値を落とし、イギリスを苦境に追い込みました。
戦後、イギリスが不況に陥ったのは、大量に印刷されたナチスの贋札のせいだという説もあるくらいです。
ドイツとイギリスの敵対関係
ナチスによる外国紙幣の偽造には、実は3つの段階がありました。
最初は戦争前の1939年にナチス親衛隊情報部に所属するアルフレート・ナウヨクス少佐が指揮を執ったイギリス・ポンド紙幣の偽造です。
ナチス親衛隊情報部は、スパイ行為に必要なパスポートや免許証の偽造を行っていたので、その一環で紙幣の偽造も始めたのです。
(赤十字と赤X字と白X字との
組み合わせ)
イギリス国旗ユニオン・ジャックに含まれる聖アンドレアスの白X字にちなんで「アンドレアス作戦」と呼ばれたこの計画では、5ポンド紙幣と10ポンド紙幣の贋札が何十万枚も作られたそうです。
一般労働者の週給にもあたるような高額紙幣の5ポンド紙幣や10ポンド紙幣は、17世紀から使われてきた肖像画のないデザインで、大判サイズの白無地に黒一色の印刷で、偽造がしやすかったからです。
しかし、ナウヨクス少佐の失脚と品質の問題から「アンドレアス作戦」は1年近く中断されることになりました。
なお、作戦名にスコットランドを意味する白X字が選ばれたのは、イングランドを意味する赤十字を打ち消しているからだと言われています。
偽造工房はユダヤ人強制収容所の中にあった
『ヒトラーの贋札 悪魔の工房』
朝日新聞社(2008年)
いっとき中断していたイギリス・ポンド偽造計画ですが、ナチス親衛隊長官ヒムラーのじきじきの命によって、戦時中の1942年に再開されます。
計画の責任者には、ナウヨクスの部下であったベルンハルト・クルーガー少佐が任命され、コード名も新たに「ベルンハルト作戦」と名づけられました。
これが計画の第2段階です。
「ベルンハルト作戦」では偽造に携わる職人が、強制収容所に収容されたユダヤ人の中から選ばれました。
敵国の紙幣を偽造するのは戦時下であっても国際法違反ですし、そのような行為が絶対に外部に漏れないよう、収容所の中ですべてを完結させることにしたからです。
贋札造りの工房は収容所内の隔離施設に作られ、偽造に携わる職人は他の収容されたユダヤ人とは隔てられ、好待遇を与えられました。
ナチスのユダヤ人収容所では、ユダヤ人をろくに食事も与えない劣悪な環境で強制労働させて、弱ると順番にガス室で殺害していたのですが、紙幣の偽造という特殊な仕事に従事する職人は希少で使い捨てにできなかったのです。
こうしてザクセンハウゼンの収容所に、紙幣の偽造工房が作られ、印刷や製紙の職人や画家が集められました。
強制収容所の地獄のような状況は、偽造作戦に召集されたおかげで生き延びることができたユダヤ系スロヴァキア人の印刷工アドルフ・ブルガーの回想録『ヒトラーの贋札 悪魔の工房』で詳しく知ることができます。
職人たちのサボタージュ
こうして完成したイギリスの贋札は、ヨーロッパ大陸中で輸入品の支払いなどに使われるようになります。
第3段階としてクルーガー少佐はアメリカ・ドルの贋札の製造を工房に指示しました。
このときに秘密兵器として新たに加えられたのが、ロシア生まれのユダヤ人画家サロモン・スモリアノフです。
スモリアノフは、画家の師匠ミアソジェドフとともに戦前から私的に贋ポンド紙幣を造っていた犯罪者でした。
贋札造りのプロフェッショナルであるスモリアノフを加えた工房でしたが、ドル紙幣の偽造は難航しました。
ドイツの敗色が濃厚になってきたことと、ドル紙幣の偽造が完成したら口封じのために工房の職人は全員殺されるのではないかとの疑いから、職人たちが結託して時間の引き伸ばしをするようになったからです。
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