カタルーニャのミロ
~スペインからの独立を求めるカタルーニャ州からダリ、ミロ、ピカソが生まれた
スペインのカタルーニャ州からは、スペインを代表する偉大な3人の芸術家が生まれています。建築家ガウディ、画家ダリ、そして画家ミロです。
画家ジョアン・ミロが、カタルーニャのバルセロナに生まれたのは1893年のことです。エコール・ド・パリの画家スーティンと同じ年の生まれです。
ミロの生きた時代は、二つの大戦を含む激動の20世紀ですが、ミロは政治とは距離をおき、ひたすら絵を描く人生を送りました。スペインの画家といえば、ダリやピカソのように派手な私生活を送ったイメージがありますが、ミロは違いました。
無口で大人しかった14歳のミロは、学校の成績がいま一つだったため、父の勧めに従って商業高校に進学して簿記を習います。絵が好きだったミロは、同時にバルセロナの美術アカデミーにも入学するのですが、そこは偶然にもピカソの父が教鞭をとる学校でした。とはいえ、ミロを教えたのは父ピカソではありませんでした。
その後、画家として苦闘するミロを応援したのが、バルセロナのダルマウ画廊です。1918年にはミロの最初の個展を開催し、1920年には「フランス前衛美術展」で、ピカソ、マティス、ローランサン、デュフィ、ブラックなどとともにミロの作品を展示しました。
1929年、スペイン人女性と結婚したミロは一人娘を儲けると、パリから離れて故郷のバルセロナで暮らすようになります。しかし、1936年、スペイン内戦が起きて反乱軍のフランコ将軍が国家元首になると、カタルーニャ語が禁止されるなど自由がなくなります。ミロは家族とともにパリに亡命しました。
戦後のミロは、スペインを代表する画家としてニューヨークやパリに招待されつつ、バルセロナとマヨルカ島のアトリエで制作に没頭する毎日を送りました。ミロはカタルーニャと同様、独立自尊の精神を大事にするアーティストでした。現代美術の主流や流行がどうであれ、あくまでも自分の内面の美を追い求めたのです。
ミロが亡くなったのは1983年のことです。90歳の大往生でした。他者からは堅物と見られていたミロですが、好きな絵を思う存分描けたその生涯は、幸福なものだったでしょう。
参考文献
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