かつてSAMOと名乗っていた二人組の明暗はなぜ分かれたのか?
~ジャン=ミシェル・バスキアとアル・ディアス
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アート界における成功がどのようにもたらされるか知っていますか?
アメリカのノースイースタン大学教授のアルバート=ラズロ・バラバシは、その著書『ザ・フォーミュラ』で、「成功の普遍的法則」を科学的に解明しました。
ここでいう「成功」とは、「社会から受け取る報酬」の大きさをさします。
作品をつくることで得られる個人的な深い満足感や達成感もある意味では「成功」ですが、それは科学的に測定することができません。
バラバシ教授は、数値で測定できる社会的な成功に的を絞って、そこに至る「法則」を科学的に詳述しました。
アート界には、同じ時期に同じような絵を描いていたにもかかわらず、大きく成功したのは一人か二人だけという事例がいくつもあります。
たとえば、印象派と呼ばれる画家の中には、モネやルノワールのように誰もが知っている名前もあれば、ギヨマンやカイユボットのようにマイナーな知名度にとどまった人もいます。
ピカソとブラックは、ともにキュビスムの創始者と呼ばれていて、一時はどちらが描いたかわからないほど似たような絵を描いていましたが、現代における人気には差がついてしまいました。
ジャン=ミシェル・バスキアは、もともとSAMO(セイモ)という二人組のユニットで、ストリートアート活動をしていました。
同じ名前で街中にグラフィティを残すのですから、当時の二人の絵はほとんど見分けがつきませんでした。しかし、現在、もう一人のSAMOであるアル・ディアスの名前を知る人はほとんどいません。
なにが二人の運命を分けたのでしょうか?
かつてバスキアは二人組のユニットだった
1982(1億1049万ドルで落札)
バラバシ教授が見つけた答えを最初に書いてしまいましょう。
二人のアーティストが同じ出発点であったのに、その後の明暗を分けた理由は、ネットワークにあります。
バスキアは積極的に人脈を広げて、自分の作品を評価してもらう機会を増やしました。
一方、ディアスは一匹狼で、自分の正体を秘密にし続けました。
バラバシ教授は、ネットワークサイエンティストとして、成功という現象を引き起こすためには、ネットワークが必要だと主張しています。
その事例としてあげられているのが、ニューヨークのストリートアート界で活躍したふたりのアーティスト、ジャン=ミシェル・バスキアとアル・ディアスです。
二人は1970年代にSAMOというユニットを組んで、街に詩的な落書きを残していましたが、やがて別々の道を歩むことになりました。
ディアスはアンダーグラウンドで活動を続けましたが、バスキアはアート界の重要人物とつながりを築いて、スターアーティストになりました。
バスキアは1988年にわずか27歳で麻薬の過剰摂取で亡くなりましたが、彼の作品《無題》は2007年に当時のアメリカ人アーティストの史上最高額となる1億1049万ドルで落札されるなど、不朽の名声を得ました。 ディアスは2024年現在も活動を続けていますが、知る人ぞ知るアーティストにとどまっています。
そうなった理由は、作品のクオリティではなく、二人の性格の違いにあります。
謎のストリートアーティストSAMOとして活動していた時代、ディアスは正体を隠すことにこだわりましたが、バスキアは100ドルでニューヨークの雑誌「ヴィレッジ・ヴォイス」のインタビューに登場し、さっさと正体を明かしてしまいました。
そういった性格の違いから、やがて二人はユニットを解消しましたが、その後もバスキアはアンディ・ウォーホルやキース・ヘリングに近づいて自分を売り込むなど積極的に人脈を広げて、最終的にはキュレーターのディエゴ・コルテスに気に入られて、ウォーホルやヘリングやメイプルソープと並んで展覧会に出展させてもらえるようになりました。
これがバスキアの成功の始まりです。
彼はたった2年で、ホームレスのティーンエイジャーからスターアーティストになりました。
一方、ストリートアートにこだわったディアスにはそのような幸運は訪れませんでした。
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マルセル・デュシャン《泉》の本当の作者は?
(アルフレッド・スティーグリッツ撮影)
もう一つ、別の例をあげましょう。
マルセル・デュシャンは、工業製品として売られている磁器製の男性用小便器を横向きにして、「R.MUTT」とサインを入れて、《泉》(もしくは《噴水》)というタイトルの芸術作品を作ったことで有名です。
デュシャンはこの作品を、自らが実行委員長を務める「ニューヨーク・アンデパンダン」展に「R.MUTT」の偽名で出展しようとしましたが、主催団体である独立芸術家協会に拒否されてしまいました。
アンデパンダン展は出品料を払えば誰でも無審査で出展できる自由な展覧会であったにもかかわらず「これは作品ではない」とされたのです。
この決定を不服としてデュシャンが実行委員長を辞任したことで作品の存在が知れ渡り、大きな話題となりました。
日用品をほぼそのままに芸術作品としたデュシャンの《泉》は、レディメイドと呼ばれて芸術史に残るコンセプトアートとされています。
しかし、近年の研究で、デュシャンよりも先に、ドイツの前衛芸術家であった女性、エルザ・フォン・フライターク=ローリングホーフェンがレディメイドの概念を考えたことがわかってきました。
彼女はダダイストグループとしてデュシャンの友人でもあったので、レディメイドの創始者の名誉は本来であればエルザに与えられるものであったかもしれません。
なにしろ、一説によれば、デュシャンの《泉》を作ったのもエルザではないかと言われているのです。その証拠としてあげられるのが、デュシャンが妹に宛てた手紙です。そこには次のように書かれています。
「僕の女友達が、リシャール・ムットという男性の偽名で、磁器の小便器を彫刻として送ってきた。それはまったく卑猥なものではなかったが、委員会は展示を拒否した」
ここから《泉》をつくって送ったのは、本当はエルザではないかとの説も生まれましたが、真偽は不明です。
デュシャンは女装してローズ・セラヴィという女性名を名乗ることもあったので、この手紙における「女友達」とは、デュシャン自身のことではないかとの説もあります。
いずれにせよ、《泉》の作品価値が高まったのは、アンデパンダン展の実行委員長であったデュシャンの名声と、それを辞任するという自作自演的なパフォーマンスによるところが大きいのです。エルザが真の作者であったら、はたしてこれほどまでに美術史に残る名作になったでしょうか。
バラバシ教授は「価値を評価するときに重要なのは、その文脈なのだ」という言葉で、ネットワークの重要性にあらためて言及しています。
工房作品と判明した途端に人気がなくなる
1650-55(ベルリン国立絵画館所蔵)
文脈が変わると作品の価値が変わってしまうことの一例として、バラバシ教授は《黄金の兜の男》という絵画の例をあげています。
この作品は長らくレンブラントの真作とされて、所蔵されていた美術館では絵の前には行列ができるほど有名でした。
しかし、1986年にレンブラント工房で弟子が描いた作品と結論づけられた途端、人気がなくなってしまいました。
逆に、ダ・ヴィンチ《サルヴァトール・ムンディ》は、長らくダ・ヴィンチに影響を受けた画家の作品と思われていて、2005年にオークションにかけられたときには、わずか13万円で落札されたものですが、ダ・ヴィンチの真作と結論づけられた後の2017年には510億円で落札されました。
ここからわかるように、アート作品が成功するめに重要なのは文脈と名声です。
そして、文脈と名声をつくりだすために有効なのがネットワークです。
バラバシ教授は、成功しているアーティストの作品は、ガゴシアン・ギャラリーやペース・ギャラリーいった、有名ギャラリーのネットワークに乗っていることを突き止めました。
成功するためには、名声を生むネットワークにどこかで乗っかる必要があります。
しかし、いったいどうやってそのネットワークをつかまえればよいのか。
そのためには、実力はもちろん運の力も必要になりそうです。
そして、運を呼び込むためには、積極的なネットワーク活動が必要になります。
現在、成功しているアーティストの多くはSNSなどでのネットワーク活動に力を入れています。
バラバシ教授の「成功の法則」が、経験則としても広がっているのです。
翠波画廊では、バスキア作品を多数取り扱っています。
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