絵画の種類と描き方の秘密!
ダ・ヴィンチが嫌ったフレスコ画とは?
絵画を定義すると「キャンバスなどの支持体の上に絵具などの顔料を定着させた二次元の視覚芸術」となります。
この支持体と顔料の組み合わせによって、絵画の種類が異なってきます。
支持体と顔料の選定にあたって重要なのが、定着させるための方法です。たとえばガラスの上に水彩絵具で絵を描こうとしても、絵具が弾かれてしまってかたちが残りません。ガラスに描くなら油性ペンやアクリル絵具など、ガラスに定着する顔料が必要です。
紙やキャンバスがすぐれているのは、表面が適度にざらざらしているために顔料がひっかかって定着しやすいところです。水彩絵の具を使うなら紙の一択になるでしょう。
しかし薄くて軽くて持ち運びに便利な紙は、耐久性がいまひとつです。
そこでたとえば油絵は木枠に厚手の布を張ったキャンバスに描くのが一般的になりました。
壁画を描くならフレスコ画
キャンバスが中世に発明される以前は、建物の壁に直接描く「壁画」か、もしくは持ち運べるように木の板に描いた「板絵」の2種類がもっぱらでした。
支持体が石やレンガで作られた建物の壁の場合、湿気などにさらされつつ何十年、何百年も絵が保存されなければなりませんから、顔料をしっかりと定着させる必要があります。
そこで発明されたのがフレスコ画という技法でした。
通常の油絵具やアクリル絵具は、絵具の中に支持体への定着を行う固着剤が入っています。壁や床に油性ペンなどで文字などを書くとなかなか消えないのはそのせいです。
しかし中世にはまだ顔料を十分に定着させられる固着剤がありませんでした。そこで壁画を描く際には、まず砂と石灰を混ぜてつくった漆喰を塗り、その漆喰が乾く前に水で溶いた顔料を使って絵を描く方法がとられました。
フレスコ画と呼ばれるこの描き方であれば、漆喰が乾くと同時に顔料も乾いて壁の一部となりますから、壁を壊さない限り顔料が剥離することはありません。
問題は漆喰が乾く前に素早く絵を描かねばならないことです。フレスコ画を描くときには、あらかじめ下絵を用意して一日の作業範囲を決めて、スケジュールどおりに描く必要がありました。
この描き方を嫌ったのがレオナルド・ダ・ヴィンチです。
天才の常としてマイペースで気まぐれだったダ・ヴィンチは、漆喰の乾く速度に進行を左右されるフレスコ画を嫌い、壁画《最後の晩餐》は後述するテンペラ画の手法で描きました。つまり完成した壁の上に絵具を塗っていったのです。
しかしそのせいで《最後の晩餐》は経年劣化がはげしく、同時期に描かれたミケランジェロ《最後の審判》などと比べると、繊細な色彩や筆触などが失われてしまいました。
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テンプラではなく、卵を使ったテンペラ画
ダ・ヴィンチが《最後の晩餐》を描くときに使ったテンペラ画の手法とは、壁画ではなく持ち運びのできる板絵などに使われた技法です。
当時はまだ布地のキャンバスがありませんでしたから、《モナ・リザ》なども木の板に描かれていました。
さすがに木の板の上に漆喰を塗ることはありませんから、顔料を定着させるためには別の固着剤が必要です。そこで使われたのがニカワと卵でした。
そもそも顔料というものは主に鉱物由来の粉末であり、そのままでは支持体に塗ることができません。
そこでなんらかの溶剤が必要になります。フレスコ画の場合は漆喰が固着剤の代わりになるため水で溶くだけでよかったのですが、テンペラ画の場合は木の板に定着させるための固着剤と溶剤とが必要になります。
卵は卵黄でも卵白でも、乾けば固まって水に溶けなくなり、また顔料の変色もないのでたいへん便利な溶剤・固着剤でした。卵黄のほうがよく使われましたが、薄い色を使うときには卵白も用いられました。
卵は長らく絵具の溶剤として使われてきましたが、15世紀になると卵の代わりに油を使用する方法が発明されました。油彩画の誕生です。
繊細なタッチが可能で使い勝手のよい油彩画
ダ・ヴィンチは《最後の晩餐》をテンペラ画の技法で描きましたが、《モナ・リザ》や壁画《アンギアーリの戦い》は油彩画の技法で描きました。
テンペラ画と油彩画の大きな違いは、乾く速度です。
卵は粘着性が高く意外と乾くのが速いのですが、油は卵に比べればサラリとしていて乾くのに時間がかかります。
ダ・ヴィンチが何十年も《モナ・リザ》を手元に置いて手直しを続けたと言われているように、じっくりと考えながら描きたい人には、油彩画の技法が理想的だったのです。
しかし、油彩画の乾燥の遅さは技法としてはすぐれていますが、工法としては欠陥となります。
工学にも造詣の深いダ・ヴィンチはその欠点を克服するために壁画《アンギアーリの戦い》では、速く乾燥させるために熱を使ったのですが、失敗して絵具が流れてしまいました。
そのためダ・ヴィンチは最後まで壁画を完成させることなく中断してしまいます。
未完の状態でもその出来栄えを称賛されていた壁画《アンギアーリの戦い》ですが、数十年後に建物の改築とともに失われてしまいました。
チューブ絵具の発明が印象派を生んだ?
私たちが一般的に知っている絵具とは顔料と溶剤を混ぜてチューブに入れたものです。
このチューブ絵具が発明されて屋外でも気軽に絵が描けるようになったのは19世紀になってからです。
それまでの絵具は粉末の状態で売られていて、自分で卵や油と混ぜて使用するものだったのです。
そこで自分で顔料と溶剤を混ぜたものを、豚の膀胱などの袋に詰めて持ち運んでいましたが、すぐに乾燥してしまうので長期保存はできませんでした。
19世紀になってチューブ絵具が一般的になると戸外での制作が簡単になって、太陽光の移ろいを描く印象派の誕生を促しました。
ちなみに、当時の油絵は木枠に張ったキャンバス(帆布)を支持体とするのが一般的でしたが、ルールはありませんでした。キャンバスが軽くて丈夫だからよく使われていましたが、ポスト印象派のゴッホはお金がなかったため、麻袋に使うジュートを買ってきて支持体として使っていたこともありました。ゴッホの油彩画《野の花とあざみを生けた花瓶》は、紙に描かれていると考えられていましたが、近年の調査の結果、麻布のタオルに描かれていたことがわかりました。
独自の発達をした日本画
ここまでフレスコ画、テンペラ画、油彩画、そして水彩画について説明しましたが、これらはすべて「西洋画」の種類です。
一方、伝統的な「日本画」は、鉱石などから採取される顔料の岩絵具を、ニカワなどの固着剤と混ぜて和紙に描く技法を使っていました。
紙に墨だけを使って描く水墨画も中国から入ってきましたが、墨の原料は煤とニカワを混ぜたものなのでたいした違いはありません。
西洋と東洋で絵画は別々に発展したと思われていますが、結局、支持体の上に顔料を定着させるという基本は同じです。
とはいえ描き方は大きく異なります。
ごく簡単にいえば、「西洋画」が一点透視図法を使って二次元の平面の上に三次元の立体を描こうとしてきたのに対し、「日本画」はあえて立体的に描こうとせず、図式的なデザインのようにデフォルメした二次元の世界を描いてきました。
日本の漫画アニメ文化の源流は「日本画」にあるといっても過言ではないでしょう。
絵画のジャンルは定義次第
ちなみにいま「日本画」、「西洋画」と言いましたが、このほかに絵画のジャンルとして「洋画」があります。
近代になって開国した日本人が西洋画と出会い、その技法を学んで西洋画風に描いたものを「洋画」と呼びます。黒田清輝や東郷青児が洋画家の代表で、横山大観や上村松園が日本画の代表です。
近代以降はグローバリスムが進んで、さまざまな技法が混ざり合いました。ゴッホが浮世絵に感動し、ピカソがアフリカ美術を参照したように「日本画」、「西洋画」という単純な分類ができなくなりました。
そこで戦前のものを「近代絵画」、戦後のものは「現代アート」と時代で分けることもあります。
このように、絵画の種類やジャンルはどこに着目するかで異なってきます。
時代に着目するならルネサンス絵画、バロック絵画、現代アートなどと分けることができますし、技法に着目するなら油彩画、水彩画、版画などと分類できます。地域に着目するなら日本画、西洋画、アフリカ絵画などになりますし、モチーフに着目するなら風景画、肖像画、歴史画などに分けられるでしょう。
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