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ジェームス・リジィのハッピーなカバーアート
~ラモーンズやキング・クリムゾンとの意外な関係

翠波画廊では数多くの画家を取り扱っていますが、その作品の明るさと陽気さでいえば、ジェームス・リジィの右に出る人はいないでしょう。
ジェームス・リジィは1950年生まれのアメリカのアーティストです。
名前を知らない人でも、その絵を見れば「どこかで見たことがある」と思うくらい、さまざまなところで使われています。
今回は、ジェームス・リジィが手掛けたディスク・ジャケットを紹介します。

 

音楽が大好きだったジェームス・リジィ

オムニバス『James Rizzi’s Night』
1997年(リジィ)

ジェームス・リジィといえば3Dアートの創始者として有名です。
3Dアートとは、下地の絵の上に、もう一枚の絵からキャラクターなどを切りぬいて、スポンジなどの台をつけて重ねることで、立体的な造形を作ったもののことです。
そんなリジィの3Dアートを活かしたCDジャケットが、1997年にリリースされたオムニバスの企画盤「ジェームス・リジィ」シリーズです。
ジェームス・リジィその人の名前をつけられた4枚のCDは、それぞれ「ナイト(夜)」「デイ(昼)」、「ラブ(愛)」、「ファン(楽)」でジャンル分けされた、ポップミュージックの名曲を集めたオムニバス・アルバムです。

オムニバス『James Rizzi´s Day』
1997年(リジィ)

レコードと異なりCDのケースには、円盤を収納する台座と、ジャケットを収納する蓋との間になにがしかの高さがあります。このシリーズは、CDケースの高さを利用することで、ジェームス・リジィの得意な3Dアートを再現しています。
音楽の好きなリジィにとっては最高に楽しい仕事だったのではないでしょうか。
オムニバス・アルバムの選曲は、「ナイト」ではアレサ・フランクリンやルー・リード、「デイ」ではスターシップやラヴィン・スプーンフルなどが選ばれています。

オムニバス『James Rizzi’s Love』1997年(リジィ)

オムニバス『James Rizzi’s Fun』1997年(リジィ)

 

珍しいジェームス・リジィのダークな作品

Andy Summers and Robert Fripp
『I Advance Masked』1982年(リジィ)

ジェームス・リジィが最初に手掛けたレコードジャケットは、以前にも紹介したトム・トム・クラブのデビューアルバム『おしゃべり魔女(Tom Tom Club)』でした。
1981年にリリースされたこのアルバムのジャケット・デザインに抜擢された当時、ジェームス・リジィはまだ30歳の若手アーティストでした。
トム・トム・クラブのアートワークで名を上げたリジィに、次に声をかけたのはアンディ・サマーズとロバート・フリップの二人でした。
ポップバンド、ザ・ポリスのギタリストであるアンディ・サマーズと、プログレ界の重鎮キング・クリムゾンのギタリストであるロバート・フリップは、ともに人気バンドでの活動に満足しつつも、マニアックな音楽性を発揮する場を探していました。
そこで2人で作ったのが、1982年のアルバム『心象表現』です。
このアルバムは、全曲が歌のないインストゥルメンタルで玄人受けの作品です。
ジャケット・デザインも、それまで明るくハッピーな絵を描いてきたジェームス・リジィに似合わぬモノクロのダークな絵柄となりました。
ちなみに、このアルバムのアートワークをジェームス・リジィが手掛けることになった背景には、トム・トム・クラブのギタリストであったエイドリアン・ブリューが、キング・クリムゾンにもギタリストとして参加していたという、つながりがあります。

 

アイ! オー! レッツ・ゴー!

Dee Dee King『Funky Man』
1987年(リジィ)

その次に、ジェームス・リジィの才能に目をつけたのが、ディー・ディー・キング(Dee Dee King)です。どこかで聞いたことがある名前です。
ディー・ディー・キングは、ブルースの王様として知られる歌手のB.B.キング(B.B.King)とよく似た名前ですが、実はまったくの別人です。
B.B.キングの名前は、日本でも有名で、アニメ『ちびまる子ちゃん』のテーマ曲として大ヒットした『おどるポンポコリン』を演奏したB.B.クィーンズは、B.B.キングの名前のパロディです。
ディー・ディー・キングもまた、B.B.キングの名前をもじったものです。
このディー・ディー・キングの正体は、ディー・ディー・ラモーン――アメリカで最も有名なパンクバンド、ラモーンズ(Ramones)の結成メンバーの一人です。

シェパード・フェアリー
≪Dee Dee Ramone≫2016年

ラモーンズはメンバー全員がラモーンの姓を名乗っていました。
ボーカルがジョーイ・ラモーン、ギターがジョニー・ラモーン、ドラムがトミー・ラモーン、ベースがディー・ディー・ラモーンといった具合です。
メンバーチェンジがあっても、加入したメンバーはみなラモーン・ファミリーの一員として、ラモーンの名前になりました。
しかし1988年にラモーンズを脱退するディー・ディー・ラモーンは、その前年から始めたソロ活動では、名前を変えていました。
ディー・ディー・ラモーンの名前のままでは、まるでラモーンズのプロジェクトのように見えてしまうからです。
そのため、ディー・ディー・ラモーンではなく、ディー・ディー・キングの名前でデビューシングル『ファンキー・マン』をリリースしました。
このシングルのジャケット・デザインに起用されたのがジェームス・リジィでした。
ラモーンズといえば、奈良美智が日本でトリビュート・アルバムのジャケット・デザインをしたことでも知られています。
奈良美智と同様、ジェームス・リジィもラモーンズが好きでしたし、ストリートアーティストのシェパード・フェアリーもラモーンズのファンで、メンバー全員のポートレートを作っています。

 

ジェームス・リジィの死

Joey Ramone『Merry Christmas
(I Don’t Want To Fight Tonight)』
2001年(リジィ)

時は流れ、一世を風靡したパンク・ロック・ムーブメントも終わり、ラモーンズも1996年に「引退」を宣言して解散しました。
最後までラモーンズのフロントマンとして活躍した、身長198cmの長身ボーカリストのジョーイ・ラモーンは、リンパ腺癌を患って2001年に49歳で亡くなりました。
彼の死を追悼するかたちで、この年にリリースされたシングルが『メリー・クリスマス(今夜は争いたくない)』でした。

シェパード・フェアリー
≪Joey Ramone (Pink)≫
2005年(翠波画廊で販売中)

バラードとラブソングを愛した平和主義者のジョーイ・ラモーンらしいタイトルです。
このシングルのジャケット・デザインを担当したのもジェームス・リジィでした。
最初にトム・トム・クラブのアルバムを手掛けたときには30歳だったリジィも、このときには51歳になっていました。
その10年後の2011年のクリスマスの翌日、ジェームス・リジィは61歳で亡くなりました。ジョーイ・ラモーンと同様に、早すぎる死を多くの人が悼みました。

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