ゴッホやゴーギャンに劣らぬ悲劇の画家!
日本で漫画化されたジェリコーの物語
画家の伝記といえばゴッホやゴーギャンやモディリアーニが有名です。それぞれ複数回の伝記映画が作られていて、モディリアーニなどは現在、俳優のジョニー・デップが監督を務める映画化が進行中です。
生前は困窮しながら絵を描き続けて、志半ばにして世を去った後に評価される悲劇が人をひきつけるのでしょう。
しかし、なぜいつもゴッホやゴーギャンばかりがとりあげられるのでしょうか。
その理由は、出版社や映画会社がビジネスである以上、人気や知名度の高い画家を優先せざるを得ないからです。
しかし、胸を打つドラマを抱えた画家はほかにもいます。
たとえば、19世紀フランスの画家テオドール・ジェリコーをご存じでしょうか。
美術史に詳しくなければすぐには名前が出てこないこの画家の物語が、なんと日本で漫画化されていました。
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ジェリコーはロマン主義の先駆者
漫画のタイトルは直球で『ジェリコー』。
作者の中原たか穂さんは、第二次世界大戦における日系アメリカ人部隊を描いた『I am now on my way home』で2020年に週刊ヤングジャンプ月例新人漫画賞佳作を受賞し、2021年に雑誌『ダ・ヴィンチ』で連載された『ジェリコー』で実質的にデビューしました。
連載は好評で、その年の末にダ・ヴィンチブックスから書籍化されています。
書籍『ジェリコー』の帯には作家の平野啓一郎さんが、「マイルスの前にパーカーがいたように、ドラクロワの前にはジェリコーがいた。時代を切り拓いた兄貴分的な天才の過剰な生と創造。日本で今、こんな漫画が読めるとは! と瞠目。」と推薦文を寄せています。
ジェリコーは、《民衆を導く自由の女神》を描いた大画家ウジェーヌ・ドラクロワの先人だったのです。マイルス・デイヴィスに対するチャーリー・パーカーのように。
そのジェリコーが生まれたのは1791年。怒れるパリの民衆がバスティーユ牢獄を襲撃して占拠したフランス革命の勃発から2年後のことです。
ジェリコーが2歳のとき、国王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットはギロチンで斬首刑にされましたが、新たに設立された共和政府は当初うまくいきませんでした。
革命の波及をおそれる周辺諸国との戦争状態になったフランスは、戦の天才であるナポレオンに救われ、やがて皇帝となったナポレオンによる帝政が始まります。
ナポレオンが失脚すると、今度は王政復古でルイ18世が即位しました。 ジェリコーが32歳で亡くなったのは、セント・ヘレナ島に流刑となったナポレオンがその地で死去した3年後です。
ジェリコーの死後、フランスには再び革命の嵐が吹き荒れました。6年後に起きた7月革命を描いたのが、ジェリコーの弟分であったドラクロワの《民衆を導く自由の女神》です。
最終的に第三共和政が成立するまでには、さらに40年近い年月が必要でした。
ジェリコーの人生は、フランス革命の動乱期とともにありました。
当時は革命の熱情が時代を覆っていて、美術史でいえばロマン主義と言われるような情熱的な絵画が生まれました。
死体のリアルを追求したジェリコー
翠波画廊代表の高橋芳郎も2022年末に上梓した新刊『画商が読み解く 西洋アートのビジネス史』でジェリコーに触れています。
同書からジェリコーについての記述を抜粋してみます(もしよかったら、書籍のほうも手にとってください)。
ロマン主義の先駆者とされるジェリコー《メデューズ号の筏》は、3年前に実際に起きた遭難事件を題材にしたもので、実話をベースに現実の醜さを描いた作品です。
1816年、フランス海軍のフリゲート艦メデューズ号が座礁し、147人の乗組員が急ごしらえのいかだで漂流しました。13日後に救助されたとき、生存者はわずかに15名で、しかも飢餓と脱水から食人行為まで行われていたことがわかりました。
この事件に衝撃を受けたジェリコーは、病院の死体置き場に通って死体のスケッチに励み、生存者に実際に会って話を聞いて、何枚も習作を描いてから制作にとりかかりました。
この絵がロマン主義的であるのは、アカデミーで良しとされる過去の歴史に題材を取るのではなく、同時代の出来事を自らの心のおもむくままに情熱的に筆をとり、誰に依頼されることもなく描いたことです。
ジェリコーは完成した絵を1819年のサロンに出品しました。ジェリコーという画家はアカデミーやサロンには距離をおいていて、サロンへの出品は生涯に3点しかありませんが、《メデューズ号の筏》はそのうちの1点になります。
アカデミーやサロンから離れていたとはいえ、ジェリコーは決して凡百の画家ではありません。最初のサロン出品時には金賞に選ばれていますし、ローマ賞に応募したときは次点で入賞を逃しましたが、自費でイタリアに留学するほど勉強熱心でした。
ジェリコーが満を持して出品した《メデューズ号の筏》は賛否両論を巻き起こしました。歴史画の伝統にのっとる描き方ですが、記憶に新しい現代の事件を劇的な演出でとりあげていたため、平静に受け止められない人が多かったのです。
特に政府はこの事件を隠したがっていたため、苦々しく感じ、ルーヴル美術館で買い取るとジェリコーに申し出て絵を預かると、そのまま倉庫の奥深くに眠らせてしまいました。
周囲と馴染めなかったジェリコー
ジェリコーは画家仲間がためいきをつくほどの美男子でした。
そして当時の画家の例にもれず、資産家の家に生まれ、幼い頃から絵の才能にあふれていました。
つまりイケメンのモテ男でした。
しかし漫画で読むジェリコーは、その才能を楽しむというよりも、もてあまして振り回されているかのようです。
弁護士の父親はジェリコーに高等教育を授けてエリートに育てようとしますが、ジェリコーは画家になりたいと反発します。
しかし、ようやく通わせてもらえるようになったゲランの画塾でも、先生の腕前や教え方に満足できず、ひとりルーヴル美術館に通って模写を繰り返しました。
ジェリコーが描きたかったのは躍動する馬のような身体の美しさでした。均整の取れた構図を求める新古典主義とは肌が合わなかったのです。
漫画『ジェリコー』は絵を描きたい青年の青春物語としても、時代の波に翻弄された画家の悲劇としても読むことができます。
ジェリコーが興したロマン主義の潮流は、その後に後輩のドラクロワに引き継がれて、絵画の価値基準を変えていきます。
それまでは神話や歴史を描いていた絵画が、リアルな現実を描くようになったのです。
この先に生まれるのが、娼婦や踊り子など現実の女性の裸を描いたマネやドガといった絵画の革命児です。
マネやドガの反逆精神は、絵画の新潮流を生んだ印象派に受け継がれて、さらに後のマティスやピカソといったアヴァンギャルドな画家たちを誕生させます。
そのように考えると、まさにジェリコーこそが近代絵画の発端であったと言えます。
オールドマスターズのオークション価格
ルネッサンス以降、印象派未然の絵画は、いわゆるリアリズムの古典絵画として、美術品市場ではオールドマスターズと呼ばれます。
レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ、レンブラントやルーベンスなど、美術史に名を残す巨匠たちの作品がこのカテゴリーに含まれます。
オールドマスターズ絵画は、芸術的な価値だけでなく歴史的・文化的な価値も高く、美術館やコレクターによって大切に保存されています。
ジェリコーもまたオールドマスターズに分類されますが、若くして亡くなり作品数が少ないこともあり、市場に出てくることはほとんどありません。
また市場全体として見ると、オールドマスターズの価格指数は1990年にピークに達して以来かなり勢いを失っていて、近年はピーク時の半分以下となっています。
しかしながら、個々の作品では高価格の落札が目立ちます。
たとえば、2021年1月29日にサザビーズのオークションに出品された、イタリア・ルネサンスの画家サンドロ・ボッティチェッリの≪ラウンデルを持った青年≫は、手数料込み9200万ドルで落札されました。この作品は、この年の高額落札絵画のベスト3に入りました(1位はピカソで2位はバスキアの作品でした)。
翠波画廊では、20世紀巨匠の作品から、人気の現代アート作品、新進気鋭の若手作家の作品まで幅広く取り扱っています
ぜひご覧になってください。
2023年もご愛読くださりありがとうございました。2024年のアートコラムもどうぞお楽しみに!
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