アンディ・ウォーホルを歌った曲
~デヴィッド・ボウイから布袋寅泰まで
ウォーホルといえば、数多くのレコード・ジャケットをデザインしたことで有名です。
そのうちのいくつかはニューヨーク近代美術館(MoMA)の収蔵品に加えられています。
実際にMoMAのサイトでコレクション検索をしてみると、確かにウォーホルがデザインしたレコードが9枚も出てきました。
ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの「バナナジャケット」や、ローリング・ストーンズの「ジッパージャケット」などは、商業的な大量生産の印刷物であるにもかかわらず、アート作品としてきちんと認められているのです。
(左上が「ジッパージャケット」、右上が「バナナジャケット」)
アンディ・ウォーホルとルー・リード
アンディ・ウォーホルがデザインしたレコード・ジャケットの中でも、特に有名なのが1967年のヴェルヴェット・アンダーグラウンドのファーストアルバムです。
なにしろジャケットにはバンド名の記載すらなく、バナナの絵とアンディ・ウォーホルの名前だけが大きく表示されていて、まさにウォーホルの作品といえます。
通称「バナナジャケット」と呼ばれるこのレコードにおいて、ウォーオルはアートワークだけでなくプロデューサーも務め、リリースに全面的に協力しました。
「バナナジャケット」の翌1968年、ウォーホルは取り巻きの一人であったフェミニスト女性、ヴァレリー・ソラナスに拳銃で撃たれて重傷を負います。
幸いにも一命はとりとめましたが、奇人変人を周囲に集めて創作のインスピレーションにしていたウォーホルが、以降は人付き合いを避けるようになります。
それまでは作品制作のアトリエをファクトリー(工場)と呼んで、誰でも出入り自由にしていましたが、それも翌1969年には閉鎖してしまいます。
命こそ助かったものの、自由で過激なウォーホルは死んでしまったのです。
RCA(1972)
ファクトリー閉鎖の1969年、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのルー・リードは、「アンディの胸」という曲をつくって、胸と腹を狙撃されたウォーホルのために歌いました。
「もしぼくが空を飛べるものになれるなら、コウモリになってあなたを目指そう」から始まる歌詞は、常に「あなた」=「ウォーホル」に語りかけるかたちで、ウォーホルに対する親愛の情が表現されています。
のちにルー・リードはこの曲を「ラヴソング」だと解説しました。
残念ながら1970年にルー・リードがヴェルヴェット・アンダーグラウンドを脱退したため、「アンディの胸」は正式に録音されずお蔵入りとなりましたが、3年後にルー・リードのソロアルバム『トランスフォーマー』に収録されて陽の目を見ました。
アルバムの1曲目「ヴィシャス(背徳)」の歌詞「おまえは花でおれを叩く」も、アンディ・ウォーホルの言葉からインスピレーションを得たものだそうです。
ルー・リードとアンディ・ウォーホルは、生涯を通じてお互いに刺激を与える友人同士でした。
Andy’s Chest – Lou Reed | subtitulado al español
アンディ・ウォーホルとデヴィッド・ボウイ
ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの脱退後、くすぶっていたルー・リードを助けたのが、同バンドのファンだったロックスターのデヴィッド・ボウイです。
デヴィッド・ボウイがプロデュースした『トランスフォーマー』は、アメリカとイギリスでチャート入りするヒットとなり、ルー・リードのキャリアを救います。
「実はデヴィッド・ボウイは、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドを聴いてアンディ・ウォーホルに興味を持ち、1971年のアルバム『ハンキー・ドリー』に「アンディ・ウォーホル」という曲を作って収録していました。
このとき、ボウイはまだウォーホルに会ったことがなく、メディアを通してのイメージだけで作曲したので、リードの「アンディの胸」に比べると距離が感じられます。
曲の冒頭には、プロデューサーがウォーホルの発音を間違えて、ボウイがそれを訂正する会話が収録されています。ウォーホルに対するイギリスとアメリカの温度差でしょう。
また、「アンディ・ウォーホルは《叫び》みたいだ、ぼくのうちの壁にかけよう」といったユーモアあふれる歌詞には、メディアにおけるウォーホル像が垣間見られます。
ムンクの《叫び》が誰もが知るアートの顔であったように、ウォーホルの作品も誰もが知るポップアイコンだったのです。
ボウイはこの曲の許可を得るためにわざわざ渡米してウォーホルと対面しましたが、曲の感想を聞くと「きみの履いている靴は素敵だね」とはぐらかされたそうです。のちにボウイは「ウォーホルはこの曲を気に入っていなかった」と語っています。
当時、映画制作に熱中していたウォーホルは、訪問者に対して「スクリーン・テスト」と称して15分間無言でカメラに向き合ってもらう映像を残しています。サルバドール・ダリの映像が有名ですが、カメラに戸惑う若きボウイの姿もなかなか貴重なものです。
David Bowie, Andy Warhol, Lyrics
アンディ・ウォーホルとジャン・ミシェル=バスキア
/アンディ・ウォーホルを撃った女』
20世紀フォックス
アンディ・ウォーホルは1987年に心臓発作で死去しました。まだ58歳でした。
その9年後の1996年、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドとデヴィッド・ボウイは共に並んで「ロックの殿堂」入りを果たしました。
同じ年に2本の映画『アンディ・ウォーホルを撃った女』と『バスキア』が公開されました。
前者はウォーホルの狙撃犯ヴァレリー・ソラナスの、後者はウォーホルの友人ジャン・ミシェル=バスキアの伝記映画です。
2本の映画の音楽は、ウォーホルの映画に音楽をつけた経験もある、元ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのジョン・ケイルが担当しました。
(左から二人目がウォーホルに扮したボウイ)
映画『バスキア』の監督のジュリアン・シュナーベルは元画家でバスキアの友人であり、後にライブドキュメンタリー映画『ルー・リード/ベルリン』の監督も務めています。
また、映画『バスキア』でアンディ・ウォーホルを演じたのはデヴィッド・ボウイでした。
実はアンディ・ウォーホルとルー・リードとデヴィッド・ボウイのファンは重なることが多いです。
たとえば80年代の日本の人気バンドBOØWY(ボウイ)の名前は、デヴィッド・ボウイからとられたものです。このBOØWYのギタリストだった布袋寅泰は、愛犬にルー・リードからとったルーリーという名前をつけ、1992年には亡くなったウォーホルに手向けるかのように「さよならアンディ・ウォーホル」という曲を作りました。
彼らが並んで語られるのは、LGBTだと言われたウォーホルやリードはもちろん、中性的なボウイにも、常識を解体してマイノリティを勇気づける力があるからでしょう。それはアート一般が持つ魅力でもあります。
布袋寅泰 「さよならアンディ・ウォーホル」
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