画家が死んでも作品と子孫は残る
~ピカソと4人の子どもたち(パウロ、マヤ、クロード、パロマ)
2017年9月7日、CNNで興味深い報道がありました。 ピカソの10人の愛人と4人の子ども(正妻との間には1人)パブロ・ピカソは生涯に2度の結婚をしていますが、恋人として知られている相手は10人にのぼります。そのうち3人の女性との間に、4人の子どもをもうけました。
1人目は、1921年、最初の妻オルガとの間にできた長男パウロです。パウロはピカソの唯一の嫡出子でしたが、両親が別居したため、父親の愛情をあまり受けることなく育ちました。2人目は、1935年、マリ=テレーズとの間にできた長女マヤです。愛人の子どもだったマヤですが、幼少期は初めての娘として、ピカソに愛されました。3人目と4人目は、1947年、フランソワーズ・ジローとの間にできたクロードと、1949年に生まれた、その妹のパロマです。2人は、母親とともに幼い頃にピカソのもとを去っています。1人目のパウロと、4人目のパロマとの間には、28歳の年の差がありました。
ピカソの正式な孫は3人(そのほかにも2人)いた翌1950年、長男パウロが最初の結婚をして、ピカソの孫であるパブリートとマリーナが生まれました。
やや前後しますが、ピカソの最初の妻オルガは1955年に63歳で亡くなり、ピカソは1961年、80歳のときに、34歳のジャクリーヌと再婚しています。
1973年に91歳でピカソが死んだとき、その莫大な財産にかかる相続税が大きすぎたために、フランス政府は絵画などの芸術作品での納付を認めました。正確に言えば、ピカソの死の5年前に改正されたものですが、ピカソの死に備えて整備されたものだと言われています。
ピカソは、遺産の分配について、遺言を残しませんでした。そのため、莫大な相続遺産をいかに分けるかで、争いが起こりました。ピカソの死に際して、相続人となったのは、ピカソの妻のジャクリーヌと、4人の子どもたちでした。しかし、後妻と嫡出子と庶子とでは立場も違いますし、財産の算定だけでも非常に時間がかかるため、決着は容易につきませんでした。
そのうちに1973年、ピカソの死の3か月後に、初孫であったパブリートが24歳で自殺しました。後を追うように1975年、長男パウロも54歳で、病のために亡くなります。最終的にピカソの遺産は、寡婦のジャクリーヌが3割、庶子のマヤとクロードとパロマが1割ずつ、孫のマリーナとベルナールが2割ずつで分割されることになりました。解決までには6年の歳月と3000万ドルの費用がかかりました。
ピカソの子孫たちのその後の人生その後の人生も人それぞれです。ピカソの屋敷を受け継いだ寡婦のジャクリーヌは1986年、59歳で自殺しました。最期までピカソに捧げた人生だったと言われています。
ピカソの周囲で自殺者が相次いだように、巨大な財力や名声は、家族やパートナーの人生に大きな影響を与えます。<もしあなたが美術品のコレクターであるならば、コレクションや財産を死後にどうするべきか、今から考えておくほうがいいかもしれません。
出典:クーリエ・ジャポン |
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