物憂げな女性の美しさって気になりませんか?
~ジャン=ピエール・カシニョールの美人画
画廊にとって、扱う商品(絵画)をどのように仕入れるかは非常に重要な問題です。
カシニョールの絵に出てくる女性たちは、細身で、いつもアンニュイな表情を浮かべています。
さらに、1988年から98年にかけて、日本では講談社や日本経済新聞社といった老舗出版社から、画集が4冊も出版されました。美術書が売れないと言われる日本の出版業界では、きわめて異例のことだと思います。
おそらく、繊細な美人画というその作風が、日本人の感性とよく合っていたのでしょう。
カシニョールは2017年に82歳になりますが、今も現役で絵を描いています。成功した画家の例にもれず、スイスのレマン湖のほとりに自宅とアトリエを兼ねた家を建てて、悠々自適の毎日をおくっています。20年ほど前に私が初めてお会いしたときには、スイスのジュネーブ近くの森の中にある、200年以上前に貴族によって建てられたという大きな洋館を借りて住んでいました。
以前、フランス北部のビスケー湾にあるレ島(イル・ド・レ)の、カシニョールの別荘に招かれたことがあります。その時、夕食の席でお酒も入って饒舌になったカシニョールが昔話を始めました。画家として成功し優雅な人生を勝ち取ったカシニョールですが、生まれたのは1935年のパリで、子ども時代は第二次世界大戦のただなかでした。パリはドイツ軍に占領され、当時、母子家庭のユダヤ人だったカシニョールは、パリを脱出しました。ユダヤ人を迫害するナチス・ドイツから逃れるため、母親に手をつながれフランス各地を転々と逃げ回ったそうです。その時、何より辛かったのは、空腹でした。ろくに食べるものがなく、いつもひもじい思いをしていたと、思い出話を語って聞かせてくれました。
戦後、パリに戻ったカシニョールは、勉学にも励み、名門ジャンソン・ド・サイイ高校を卒業しています。カシニョールの最初の個展は1952年、17歳のときにパリのルシー・クロッグ画廊にて開催されました。早熟だったのです。その後、1954年、19歳のときに、モネとセザンヌとピサロが出会った画学校アカデミー・シュイスを前身とする、美術専門学校アカデミー・シャルパンティエに入学します。そして1年後にはパリの美術学校に合格し、本格的に絵の勉強を始めます。
カシニョールの作風は、見ていて心地よいものです。オランダの画家キース・ヴァン・ドンゲンの影響を受けたような、女性画を数多く描いています。 |
カシニョールの絵は、全世界で高く評価されています。
翠波画廊は、カシニョール本人から新作絵画を仕入れています。 |
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