フェルメールの贋作画家メーヘレンの人生
~ナチスの協力者からナチスを騙した英雄へ
1889年生まれのオランダの画家メーヘレンは不遇な半生をおくっていました(メーヘレンの前半生については前回のコラムを参照>>)。
画家としての技量は確かだったものの、写実画を頑なに愛するその姿勢が、流行にはずれていたからです。メーヘレンの同世代の画家は、1887年生まれのシャガール、1888年生まれのデ・キリコです。いずれも若い頃の写実的な絵から離れて独自の表現を追求していました。シャガールと同い年のマルセル・デュシャンなどは、工業製品の男性用小便器にサインをしただけの現代美術作品「泉」をすでに1917年に発表しています。そんな現代美術の潮流に乗れなかったメーヘレンは、肖像画などでわずかに生活費を稼ぐ日々でした。鬱屈したメーヘレンの心の中に暗い情念の炎が燃え出します。そうして、メーヘレンが何年もの歳月をかけて完成させたのが、フェルメールの贋作「エマオの食事」でした。
贋作で人生が変わったメーヘレン
大作「エマオの食事」によって批評家連中をまんまと騙したメーヘレンは、長期間の鬱憤を晴らす手段を手に入れます。後は「作者は私だ」と名乗り出て、見る目のない批評家連中の、上辺だけの鑑識眼とやらを暴いてやればよいのです。「王様は裸だ」と告発できるだけの武器を、この時のメーヘレンは手にしていました。 しかし、メーヘレンはなぜか、作者の名乗りをあげることをためらいます。その理由はおそらく「エマオの食事」の売却で手に入れたお金です。贋作であることを指摘すれば、当然、代金を返さねばなりません。しかし、長いこと不遇をかこったメーヘレンは、手に入った大金を手放すことを躊躇しました。美酒を味わう時間が欲しかったのです。その後、メーヘレンの心境がどのように変化したのかはわかりません。事実から言えば、彼は沈黙したまま、その後もフェルメールの贋作の制作と売却を続けます。その数は判明しているだけで11点。フェルメール以外の画家も含めれば生涯の贋作は17点です。そのうち売却したものは10点ですが、それでも十分すぎるほどの利益でした。
メーヘレンの贋作がばれたのは、まったくの偶然でした。 フェルメールの贋作「姦通の女」がナチスの高官ゲーリングの手に渡ったことから、戦後、オランダの財産がナチスに売却された経緯を調べるための取調べが行われたのです。メーヘレンは直接ナチスと接触したわけではなかったので、かけられた嫌疑は軽いものでした。しかし、絵画の出所である画商メーヘレンが、もともとの所有主の身元を明かそうとしなかったため取り調べは長期化しました。当局はナチスから没収したフェルメールの絵画を、元の持ち主に返したかったのです。
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真実を暴露したメーヘレン
黙秘を続けるメーヘレンには何か秘密があるのではないかと、マスコミは面白おかしく事件をかきたてます。報道によって明らかになったメーヘレンの金回りの良さも憶測を呼び、メーヘレンはナチスと交流して金を儲けた売国奴として、タブロイド新聞のえじきになりました。執拗な取り調べが続く中、我慢の限界が来たメーヘレンはついに抱えてきた秘密を暴露しました。「きみたちは私がフェルメール作品をナチスに売ったと思っている。それは馬鹿げた思い違いだ。フェルメール作品なんてなかった。あれは私が描いた絵なんだ」
メーヘレンの告白は、当初、誰にも真剣に受け止められませんでした。なぜならば「姦通の女」は、オランダの至宝である「エマオの食事」との共通点が多く、誰もがフェルメール作品だと認めていたからです。しかし「エマオの食事」すらもがメーヘレンの作であったとの告白が続き、オランダ美術界は大激震に見舞われました。「エマオの食事」を称賛していた批評家連中はメーヘレンの証言を信じず、「姦通の女」が贋作であっても、「エマオの食事」は真作であるとの論陣を張りました。
英雄になったメーヘレン
真実を告白したにもかかわらず、嘘つきの詐欺師とされたメーヘレンは、当局の求めに応じて、拘留されながら新しいフェルメールの贋作を描いて見せます。 その様子がテレビカメラによって中継されて、ようやく人々はメーヘレンの言うことを信じざるを得なくなりました。この画家が確かにあの「フェルメール」を描くことができたからです。
ナチスにフェルメールを売った売国奴メーヘレンは、一転してナチスを騙した愛国者として有名になりました。ゲーリングが「姦通の女」を手に入れるために、その代金としてオランダ中から収奪した200点以上の絵画コレクションの現物を当てたことが報道されると、多くの作品を取り返した英雄として、その人気はいっそうの高まりを見せました。裁判の結果、ナチスへの絵画販売の罪は問われず、フェルメールのサイン偽造などの詐欺罪で禁固1年となったメーヘレンですが、すでに身体が弱っていたこともあり、1947年、刑に服す前に心臓発作で亡くなります。58歳でした。
メーヘレンへの判決は、当時の量刑の相場から言えば驚くほど軽いものでした。もし生きていたら、服役後は本人の望むとおり人気画家となったことでしょう。 しかし、メーヘレンの人生に、その栄光が来るのは遅すぎました。フェルメールの贋作で大金を手に入れたメーヘレンは、すでに画家として真剣に絵を描くことも稀になっていたのです。
メーヘレンの人生はさまざまな思いを人に抱かせます。有名画家の作品であると知るだけで、作品が良いものであるように見えるのはなぜか。絵画の価格は何によって作られているのか。そして、画家が絵を描くのは何のためなのか。もしあなたがフェルメールを好きなら、ぜひ一度メーヘレンの作品を鑑賞してみてください。
参考文献
フランク・ウイン『フェルメールになれなかった男: 20世紀最大の贋作事件』筑摩書房
― 20世紀最大の贋作事件、ご存知ですか? ―
フェルメールの贋作を描き莫大な金を手にした、ハン・ファン・メーヘレン。
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翠波画廊代表 髙橋芳郎が出演し、事件の真相について語ります。
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