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ジョルジョ・デ・キリコという頑固者
~同業者にも取引先にも顧客にすら馴れ合うことを拒否した芸術家

 

「ゴーギャンは偽物の画家」、「セザンヌの風景画は稚拙で醜悪」、「マティスは絵の形にすらなっていない」、「モディリアーニの人物画は箸にも棒にもかからない代物」、「ダリの不快な色彩は吐気を催させる」…これらはジョルジョ・デ・キリコが同時代の他の画家を評した言葉です。
あくまでも主観にすぎないのですが、このような罵詈雑言は、キリコの頑固で難しい性格を感じさせます。
実際、キリコはトラブル・メーカーでした。45歳のときには、自らの旧作を否定して価値をおとしめ、60歳を越えてからは、過去に自分が描いた作品に対して贋作だと難癖をつけて、美術館からの撤去を要請するようになるのです。
キリコに何が起きたのでしょうか。



1970年 リトグラフ 25部 54.5x46cm

 

ジョルジョ・デ・キリコは、その知名度と絵のユニークさにかかわらず、美術史上の位置づけが難しい画家です。
一般的には、ダリやマグリットと同様に、シュルレアリスムの画家と思われていますが、後に具象絵画を手掛けるようになってからは、シュルレアリスム・グループと仲違いしました。後にキリコは、「シュルレアリスム宣言」を著したグループの領袖アンドレ・ブルトンを「無能な出世主義者」と評しています。たしかにブルトンは、ダリをもグループから追放しましたし、横暴な派閥主義者の側面があります。

また、シュルレアリスム自体が定義のあいまいなものです。
当時、マン・レイが撮影したシュルレアリスムの芸術家の中には、キリコやダリやマグリットと一緒に、ピカソやミロやジャコメッティも入っています。シュルレアリスム=当時の前衛芸術運動とゆるくとらえてもよいくらいです。いずれにしろキリコは、狭義のシュルレアリスムにおさまる画家ではありません。
キリコ自身は、当時の自分の絵を「形而上絵画」と称して、現実か幻想かわからないような不思議な絵を描きました。といっても、キリコが「形而上絵画」を描いたのは、主に1910年代、つまり20代の10年間だけです。その後、古典的な写実絵画に戻ったキリコにとって、「形而上絵画」は「若気の至り」だったのでしょうか。年を取ってからは、当時の作品を否定するようになります。

ジョルジョ・デ・キリコが生まれたのは1888年で、シャガールや藤田嗣治と同世代になります。名前からわかるように生粋のイタリア人ですが、生まれ育った場所はギリシャでした。
キリコは18歳までギリシャで育ち、19歳からはドイツの美術アカデミーで絵を学び、21歳でようやくイタリアに戻りますが、23歳からは芸術の都パリに絵の修業に出ていきます。国境が薄くなるEUの時代を先取りしていた画家といってもいいでしょう。
パリでサロン・ドートンヌやサロン・ザンデパンダンに出品したキリコの「形而上絵画」は、アポリネールやピカソといった、当時の前衛芸術家たちの目にとまります。これがキリコの画壇デビューとなりました。「シュルレアリスム宣言」よりも10年以上前のことになります。キリコの「形而上絵画」は、いわば早すぎた「シュルレアリスム絵画」でした。

第一次世界大戦にイタリア軍兵士として参加したキリコは、人間性が問い直されるような戦争体験をして、戦後に実存の不安を描くような形而上絵画の代表作をいくつも発表します。
しかし、1920年頃から、キリコの作風は写実的になり、前衛芸術から離れるようになります。住む場所もイタリア国内を転々とするようになり、パリからも離れてしまいました。
1926年には、シュルレアリストとの決別を表明し、独自の道を歩むと宣言します。キリコは芸術運動の1メンバーにとどまるには、あまりにも我が強すぎたのです。1933年には、自身の旧作を否定する発言で多くの人を驚かせました。

イタリア国内で活動していたキリコの名前が、再び美術業界を騒がせたのは、1947年のことです。ダリオ・サバテロという画商が、キリコの絵をコレクターに売ろうとして、キリコに真作の証明書を求めたところ、「これは贋作だから燃やせ」との返答があったのです。
真作だとの確信を持っていた画商は怒って裁判所に訴えました。その結果、絵は確かにキリコが過去に描いた真作であることが証明されたのです。しかし、キリコは裁判で負けても、裁判所に罰金を科されても、「あれは贋作だ」との主張を崩しませんでした。よほど過去の絵を消し去りたかったのでしょうか。
1956年には、所蔵しているキリコ作品が「贋作である」とミラノ市立美術館を訴えて、自身の過去の絵を撤去させました。この頃には、キリコの奇矯な言動は知れ渡っていて、その主張を信じる人も少なかったのですが、美術館も事を荒立てたくなかったのです。

実はキリコは、形而上絵画自体を否定したわけではありません。というのも、1940年代から50年代にかけて、キリコは過去の形而上絵画を新たに描き直しているからです。言ってみれば、贋作認定した絵画の代わりに、自分が納得できる新たな真作を描いたわけです。
しかし、批評家や市場から見れば、新しい絵画は旧作の粗悪なコピーにすぎませんでした。あまつさえ、キリコは新しい作品に過去の日付を書きいれたので、周囲から「贋作を作っている」と非難されることにもなりました。一連の行動が、キリコの美術史上の名声に影を差したことは疑いありません。
キリコは、真面目な人でした。ダリやピカソのように、作品を売ることをパフォーマンスやビジネスと割りきることができず、自分の作品を完成させることに真摯であったのです。しかし、その態度は美術ビジネス界からは疎まれました。
キリコは90歳まで生きて1978年に永眠しました。晩年は評価を落としましたが、それだけに今後の再評価が期待できます。

 

参考文献
峯村敏明・多木浩二,1986,『デ・キリコ』集英社
瀬木慎一,2017,『真贋の世界: 美術裏面史 贋作の事件簿』河出書房新社

 

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