あなたは、売れる新人作家を見抜けるか。
~まったく売れなかったジャン・フランソワ・ミレーの下積み時代
かつて画家は王侯貴族をパトロンとして、注文された絵画を描く職人(アルチザン)でした。
しかし19世紀になると、不特定多数の市民に絵画を売ることで、独立した芸術家(アーティスト)となりました。受託仕事をしていた下請業者が、オリジナル作品を作って市場で勝負をするようになったのです。そうなると人気のある画家の作品はどんどん高くなります。このように画家が自立したアーティストとなるうえで、大きな役割を果たしたのが画商です。
1860年、フランスの画商アルチュール・ステヴァンスは、画家ジャン=フランソワ・ミレーの絵を継続的に入手するために専属画家契約を結びました。3年間に渡って毎月1000フランをミレーに支払う代わりに、その期間にミレーが描いた絵をすべて手に入れる契約です。もし、作品の販売額がより高額になった場合は、ミレーに対してさらに高額の支払いをするオプションが付けられました。現在でいえば、プロスポーツ選手がよくこのような契約を交わしています。年俸プラス出来高契約です。
その当時、ミレーの評価はそれほど高いものではありませんでした。
例えばミレーは、1856年頃に描いた絵画「晩鐘」を、1860年の専属契約前に、わずか1000フランで売却しています。画商との契約との比較でいえば、ひと月分の収入と同じです。その後、この絵は転売を重ねられ、9年後の1869年に画商デュラン=リュエルが購入した時には3万フランになっていました。9年間で30倍の価格になったのです。
これで終わりではありません。4年後の1873年、デュラン=リュエルはこの絵をベルギーのコレクターに3万8000フランで売却します。さらに8年後の1881年、長いこと絵を所有していたコレクターが亡くなってオークションが行われると、16万フランで買う別のコレクターが現れました。1875年にミレーが亡くなってからその名声は上がる一方で、新しい絵の供給がないことから、価格はうなぎのぼりでした。「晩鐘」の価格は15年間で160倍になったのです。
1889年、新たな所有主が亡くなると、名作「晩鐘」の行方に注目が集まりました。買い手としてアメリカ政府とフランス政府が名乗り出て、マスメディアを巻き込んで争ったからです。オークションの結果、絵を競り落としたのはフランス政府でした。その価格は55万3000フランに及びました。これで一件落着かと思われたのですが、価格が当初の予算を大幅に超えたために新たな問題が起こります。新たな予算案が議会で否決され、募金活動もスポンサー探しも頓挫し、フランス政府は代金を支払えなくなりました。こうして、「晩鐘」は改めて58万フランでアメリカ政府のものとなったのです。しかし、フランスの画家であるミレーの名作を海外に持って行かれたことを、面白く思わない人がいました。ルーヴル百貨店のオーナーであるシャショールです。シャショールは、アメリカで巡回展が終わったタイミングで改めて交渉し、結局80万フランでフランスに買い戻すのです。こうして「晩鐘」は30年で800倍もの価格高騰を見せました。これは極端な例ですが、人気画家の一世一代の傑作となれば、似たようなできごとは少なくありません。
その一方で、売れない画家の作品は買い叩かれました。ミレーの「晩鐘」が世間を湧かせていた頃に書かれたゾラの小説「制作」の中では、売れない画家クロード・ランティエは絵を1枚10~15フランで画商に売っています。当然、その生活は貧しいものでした。このゾラの小説を読んだ親友セザンヌは、画家ランティエは自分をモデルにしたものだと感じ、馬鹿にされたと受け止めてゾラと絶交してしまいます。実際、セザンヌの絵は売れず、絵具代もろくにないため、画材を買う時にも作品で現物支払いをしていました。
これは余談ですが、作品による支払いを受け付けていた心優しい画材屋のタンギー爺さんは、ゴーギャン、セザンヌなど売れないポスト印象派の一大コレクターになっていました。ところがその死後に、遺族によってほとんどの作品が格安で売り払われてしまいます。その絵の多くを購入したのが画商ヴォラールでした。ヴォラールが名を成したのは、将来的な値上がりを見抜く目を持っていたからでもあります。
ミレーの騒動から20年後、パリの街ではモディリアーニが、生活費を得るためにデッサンを1枚5フランで手売りしていました。ちなみに当時の1フランは、現在で言えば1000~2000円程度になるでしょうか。いまモディリアーニのデッサンが5000円で売られていたら誰でも買うでしょうが、名も知らぬ画家に道端で声をかけられたときに、買うことはできるでしょうか。あなたの審美眼が試されているのです。
参考文献
高階秀爾,1997,『芸術のパトロンたち』岩波書店
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