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いちばん「ヘンタイ」な画家とは?
~エドガー・ドガの人生

東京・渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムは、「印象派への旅 海運王の夢 バレル・コレクション」展を2019年6月30日まで開催しています。
同展はドガの傑作《リハーサル》を初めて日本で展示すると、話題になっています。

《リハーサル》は第一回印象派展が開かれた頃の作品で、新しい芸術運動の息吹を感じさせるものです。
モチーフはドガの好んだバレエダンサーで、対象をキャンバスの中心からはずした構図のユニークさが際立っています。
一方で、別の見方を提唱する人もいます。
コラムニスト・山田五郎さんの『ヘンタイ美術館』は、古今東西の名立たる画家をとりあげて「誰が一番ヘンタイか?」を決める不届き(?)な本です。
弟子の少年を愛人にしていたダ・ヴィンチから、カッとなって殺人を犯したカラヴァッジオ、女性の股間のアップなどタブーを破るようなヘアヌードを描いたクールベなどそうそうたるメンバーが12人並ぶ中で、山田さんからただ一人「本物のヘンタイ」と名指しされたのがエドガー・ドガです。
その理由は《リハーサル》の絵にも見られる「オヤジ」の存在にあります。

ドガ「リハーサル」1874頃(右上に小さくオヤジの姿)

 

昔のバレエダンサーは金持ちの愛人だった?

ドガといえば、バレエの絵が有名です。 手足をのびやかに踊るドガのバレエダンサーの絵は、バレエに興味がない人をも惹きつけます。
ところで、当時のバレエダンサーは、今とは違って貧しい娘たちでした。給料も安く、多くの踊り子は、観客として来る裕福な男性の愛人となることで、貧困から抜け出していました。
貧富の差が激しい近代社会の残酷な現実を描くために、ドガは踊り子たちの絵に、たいてい「ハゲオヤジ」の姿を描き足しています。退屈そうにバレエを眺める黒づくめの男性像は、愛人を品定めする当時の「立派な紳士」でもあります。
ドガは美しい踊り子とオヤジを同時に描くことで、社会の現実を描写しました。

ドガ(写真)

 

 

一度も結婚せずに趣味人をつらぬいたドガ

では、上流階級の生まれだったドガ自身も愛人を囲っていたのかといえば、その形跡はありません。それどころか、結婚も一度もせずに83年の人生を過ごしました。
2021年の日本の国勢調査では、生涯未婚率は男性の28.3%、女性の17.8%にのぼり、いまでこそ独身で通す人は珍しくなくなりましたが、当時は結婚が当たり前でした。
ドガは非常に現代的な人物だったのです。

ドガ「自画像」1863

生涯独身の人であっても、そのときどきでパートナーはいるものです。
下級とはいえ貴族出身で、学歴も高く、才能もあるドガが、異性にもてなかったはずはありません。
しかし、ドガの人生をたどってみても、これといった恋人は見つかりません。
当時の印象派の仲間たちを見ると、隠し子のあったルノワールや、二度の結婚で子沢山だったモネ、タヒチで若い現地妻を二人ももらったゴーギャンなど、ゴシップには事欠かないのですが、ドガには浮いた噂がありませんでした。
では、ゲイだったのかといえば、そうでもなさそうです。ドガの絵を見れば、男性よりも女性に愛情を向けていることがわかります。
しかし、その愛情はどこか屈折していて、「ハゲオヤジ」にじっとりと眺められる少女の絵が多いのです。

ドガ「ダンス教室」1874頃(真中にオヤジの姿)

 

 

ドガは不器用なオタクだった?

ドガが独身だった理由は、おそらくドガの性格にありました。
現代でもそうですが、結婚生活に向いている人と向いていない人がいます。
ドガは人とぶつかることが多く「傲岸不遜」と評されることがありました。
とある印象派の画家は、ドガのことを「才能は素晴らしいが、人間性はひどい」、「自分以外の世界全体を恨んでいる」、「才能に見合った立場を得られない」と批判しています。
印象派展の運営についても仲間と意見が対立することが多く、「気難し屋」だと言われていました。

手先は器用でも人付き合いは不器用で、社交が苦手だったのでしょう。
生涯を独身で通したのは、それが原因かもしれません。

ドガ「待合室」1881頃

ドガには、芸術至上主義とも言うべき潔癖な一面がありました。
パリの高級住宅地で裕福な銀行家の家に生まれたドガは、名門校を卒業しパリ大学の法律学部に現役合格します。なのに、画家に憧れて途中でエコール・デ・ボザール(国立美術学校)に再入学します。
山田さんはこれを「麹町育ちで都立日比谷高校から東大文Ⅰに進んだけど中退して東京藝大に入り直した」と形容しています。
頭が良くて才能もあったのに、あえて好きな芸術の道を選んだのです。

ドガ「レース直前」1883頃

 

体制に反抗して茨の道を歩んだヘンタイ

当時の画家の王道は、官展であるサロンに入選してアカデミーに認められることでした。
デッサン力のあるドガは、審査員好みの絵を描いてサロンの常連となることもできました。実際、他の印象派の画家たちと違って、ドガはサロンに落選したことがないのです。
しかし「本当の芸術はそんなものではない!」との気持ちに逆らうことができず、あえてサロンには認められない絵を描く、茨の道を歩みます。
そして友人のマネとともに、後に印象派と呼ばれる反主流派グループ(バティニョール派)の中核メンバーとなるのです。

ドガ「浴槽」1886

 

ところが、マネは自分の好きな絵を描いて「サロンに認められたい」人でした。
「サロンはアホの集まり」と断じるドガとは違ったのです。
後にドガがモネやルノワールらとともに印象派展を立ち上げたときも、マネは参加しませんでした。
「印象派展の参加者はサロンに出品してはならない」とのルールをドガが作ったからです。
このルールは当初こそ「オレたちはサロンの俗物どもとは違うぜ」と団結力を高めるのに役立ちましたが、後に一部の画家が「やっぱりサロンにも出品して多くの人に見てもらいたい」と考えるようになり、軋轢の原因となりました。
そうして印象派の画家たちは、ドガをはじめとする「現代生活のリアルを描く」反サロン派と、モネをはじめとする「自然の光をリアルに描く」いわゆる印象派とに分裂してしまったのです。
最終的に、モネやルノワールらは狷介なドガ先輩のもとを離れ、サロンに戻ります。
それでもドガは自らの信念を曲げず、己の道を進みました。
ドガの描く絵には、女性の美しさというよりは人間らしさを描いたものが多くあります。
変態というより、変人でしょうか?

ドガ「踊り子たち」1900

 

 


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