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あの有名ファッションデザイナーは画商だった?
~クリスチャン・ディオールのアートへの憧れ

ルイ・ヴィトン、クリスチャン・ディオール、ジバンシー、フェンディ、ケンゾー、セリーヌ、ロエベ―― いずれもフランスを代表するファッションブランドですが、実は同一の企業グループに属することをご存じでしょうか? LVMHと呼ばれるそのグループは、ファッションブランドのルイ・ヴィトン(LV)と、高級酒ブランドのモエ・ヘネシー(MH)が1987年に合併して誕生したもので、次々にブランド企業を買収して大きくなりました。 そのうちの一つは、美術の世界に憧れて画商になったものの、経営に失敗して転身したファッションデザイナーの立ち上げたブランドでした。 どのブランドだか、わかりますか?

 

 

画商だったクリスチャン・ディオール

 

クリスチャン・ディオールがフランスに生まれたのは1905年のことです。 経営者の父親のもとで裕福に育ったディオールは、幼い頃から美術に親しみ美術学校への進学を希望します。しかし、外交官になってほしいという両親の希望を受けて、やむなくパリ政治学院に入学します。ミッテラン大統領やシラク大統領も在籍したエリート養成校です。

 

とはいえ興味のない政治学の勉強に身が入るはずもありません。ディオールはパリで遊び暮らし、卒業が危うくなりました。 家族会議の末にディオールが提案したのは、両親の希望する実業の世界で、自らの趣味である芸術と触れ合える画商の仕事でした。 こうして1928年、23歳のディオールは父親の出資を受けてパリで画廊を始めます。ディオールの画廊では、ピカソやダリやミロやデュフィの絵が売られていたそうです。

ところが1929年、アメリカに端を発する世界恐慌でディオールの一家は破産し、画廊の継続が困難になりました。ディオール自身も結核に罹って、南仏での療養を余儀なくされます。 数年後、ようやくパリに戻ってきたディオールは就職活動をしますが、いまだ不景気が続く中、就職経験のない30歳目前のフリーターを雇う会社はありません。

 

どん底に落ちたディオールを救ってくれたのが、ファッションデザイナーの友人でした。彼はディオールを自分のアパルトマンに住まわせるとともにデザインの勉強を勧めました。ここで初めてディオールの才能が目覚めました。 フリーランスのデッサン画家として生計を立てるようになったディオールは、やがて一流メゾンに専属デザイナーとして雇われます。32歳での再スタートでした。 しかし、再び不幸がディオールを襲います。 1939年、第二次世界大戦の勃発で軍隊に徴兵されたディオールは、メゾンをいったん去らねばならなくなります。 まもなくフランスはドイツと和睦しますが、休戦後もディオールは、ドイツに占領されたパリを嫌って田舎に引きこもっていました。 やむをえずメゾンは別のデザイナーを雇い、36歳のディオールは再び無職になります。

 

ファッション業界でそれなりの地位を築いていたディオールは、やがて別のメゾンに拾われますが、1945年に同僚のデザイナーが独立したのを見て、自分自身のメゾンを持ちたいとの夢が湧いてきます。 そうして1946年、41歳にしてようやくクリスチャン・ディオールのブランドが世に出ました。その後の成功は、皆さんもよく知るところです。

 

残念ながら11年後の1957年、パリのオートクチュール界の頂点に立っていたディオールは、イタリアで休暇中に突然の心臓発作でなくなります。まだ52歳の若さでした。

クリスチャン・ディオール

イヴ・サンローランとベルナール・ビュッフェの奇妙な関係

 

ディオール亡き後、ディオール・ブランドの主任デザイナーを受け継いだのは、わずか21歳のイヴ・サンローランです。 亡くなる数年前、ディオールはパリのデザイナー学校に通っていたサンローランを見出して、自分の弟子にしていたのです。

 

実は、ディオールの後継者となったサンローランは、私たちにも馴染み深いある画家と、浅からぬ縁があります。 1958年、ディオールの主任デザイナーとして、その力量を存分に発揮したサンローランは、社交界にひっぱり出されます。そこで出会ったのが、ベルナール・ビュッフェとピエール・ベルジェでした。

 

ビュッフェは最初の妻と離婚してから2人目の妻アナベルと再婚するまで10年の独身期間があります。その間ずっと公私にわたるパートナーとしてビュッフェの成功を手助けしたのが、マネージャのベルジェでした。 当時、ビュッフェは30歳、ベルジェは28歳、サンローランは22歳の若さでした。 お互いにゲイであったサンローランとベルジェはすぐに魅かれあい、恋人同士になります。ビュッフェもこの年にアナベルと結婚し、ベルジェとの関係を解消します。こうして、ベルジェは、ビュッフェからサンローランへと支える対象を変えたのです。 余談ですが、亡きディオールもまたゲイでした。2019年に没したシャネルのカール・ラガーフェルドも、村上隆とコラボレートしたルイ・ヴィトンのマーク・ジェイコブスもゲイだと言われています。ファッションデザイナーという職業には、ゲイを惹きつける何かがあるのでしょうか。



モンドリアンの絵をデザインに転用したサンローラン

 

若くしてスターになったサンローランでしたが、ディオール同様に戦禍に襲われます。 1960年、生まれ故郷のアルジェリアがフランスに対して独立戦争を起こし、サンローランもフランス軍に徴兵されることになったのです。 しかし、ゲイでデザイナーのサンローランが軍隊に馴染めるはずもなく、いじめられて精神に異常を来たし、精神病院に収容されます。ここで電気ショック療法や薬物療法を受けたことが、生涯サンローランを苦しめました。 しかも、この神経衰弱の発症を理由に、ディオール社から解雇されてしまうのです。

 

1962年、サンローランはベルジュに出資してもらい、自分自身のブランド、イヴ・サンローランを設立します。 それから2002年に引退するまでの40年間、サンローランは「モードの帝王」として、フランスのファッション業界に君臨しました。
モンドリアン・ルック
サンローランとベルジュは美術コレクターとしても知られ、美術業界の発展にも貢献しました。サンローランが、モンドリアンの絵を引用したモンドリアン・ルックに見られるように、ファッションと美術は親和性が高いです。 また、ビュッフェの描いたサンローランの肖像画は、現在、パリのイヴ・サンローラン美術館に所蔵されています。

 


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