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浜口陽三

浜口陽三 版画作品販売

浜口陽三、人気のさくらんぼや蝶などの銅版画(メゾチント)の版画作品を販売しております。

販売サイト掲載の作品は画廊でご覧いただけます。

浜口陽三の作品一覧

72件中

1-20件

浜口陽三の魅力

カラーメゾチントの開拓者

浜口陽三

YOZO HAMAGUCHI

年〜

カラーメゾチントの作品を豊富に

浜口陽三絵画販売サイトでは、カラーメゾチントオリジナル版画幅広く取り揃え販売しております。 絵画販売サイトに掲載されている絵画は、翠波画廊にご来廊いただければ、現品をご覧いただけます。

浜口陽三作品を数多く取り揃え、展示販売しています

銅版画の技法の一つであるメゾチントの復興に貢献し、さらに色版を重ねてつくるカラーメゾチントに発展させ、世界的な銅版画家に名を連ねる浜口陽三。
漆黒の中に浮かび上がる、さくらんぼや蝶など身近なモチーフの作品をはじめ、浜口の代表的な銅版画作品を取り揃えております。

漆黒に浮かび上がる色彩の光

黒々とした闇を彩る小さな輝き……赤や橙、青や紫の蝶、さくらんぼなど果物や、身近な静物をモチーフにした作品の数々は、シンプルな構図の中で奥深い情感をたたえ、その静謐な空間は、世界中のファンを魅了しています。

現代社会の喧騒から離れ、漆黒の深遠なる幻想世界へ


中央公論美術出版刊のカタログレゾネ
生前に作ったオリジナル銅版画をご紹介しています。
No.178-4に掲載(22のさくらんぼ:bird by snow and stir by still)
1909年、ヤマサ醤油株式会社の10代目社長、濱口儀兵衛の三男として和歌山に生まれます。
東京美術学校を中退してフランスに渡り、1955年には最初のカラーメゾチント「西瓜」を制作。
1957年にはサンパウロ・ビエンナーレの日本代表に選ばれ、日本人として初めて版画対象を受章。数々の国際的な賞を受賞し、作品集の刊行や、亡くなる二年前には、東京にミュゼ浜口陽三が開館するなど、日本のみならず、世界的にその地位を確立し、20世紀を代表する銅版画家となりました。

浜口陽三の生涯

銅版画家となるまでの道のり

銅版画家となるまでの道のり

1909年、代々続くヤマサ醤油の創業家に生まれた浜口陽三。
三男であった浜口は家業の道には進まず、東京美術学校彫刻科で学びます。
21歳のときに東京美術学校を中退し、フランス・パリへと渡ると、油彩を中心に制作を続けながら、様々な表現を模索しました。
29歳の頃はじめて銅版画作品を制作するも、第二次世界大戦により、帰国を余儀なくされます。
その後、浜口が本格的に銅版画を学んだのは、戦後、40歳を過ぎてからでした。
のちに妻となる南桂子と出会ったのも、この頃と言われています。
日本でいくつかの展示会を開催したのち、1953年には再びパリへ渡り、 銅版画制作を活発化させていきます。

1909年

和歌山県に生まれる。

1915年

千葉県銚子市に移住

1930年

梅原龍三郎の助言により東京美術学校を中退、渡仏

1937年

最初の銅版画制作「猫」

1940年

第2次世界大戦のため帰国

1951年

東京・上目黒にアトリエを新築。銀座にて浜口陽三展を開催

1953年

銀座にて浜口陽三銅版画展を開催。再び渡仏、パリに定住

1954年

現代日本美術展で受賞「スペイン風油入れ」「ジプシー」この年、サロン・ドートンヌに銅版画を出品。会員となる。「魚と果実」をフランス政府とパリ市が購入。

カラーメゾチントの開拓者として

カラーメゾチントの開拓者として

浜口が注力した銅版画とは、当時廃れてほとんど使われていなかったメゾチントという技法でした。
メゾチントは、耐刷性に弱く印刷できる枚数が少ないですが、“黒の技法”と呼ばれ、美しいモノクロームの濃淡を表現できる技法です。
浜口は、同じくフランスに渡った画家長谷川潔に並んで、メゾチントの復興に寄与しました。
さらに、浜口が目指したのは、メゾチントによるカラーでの表現でした。
赤、青、黄、黒の4色の版を作り、それを刷り重ねる方法で、カラーメゾチントの技法を開拓します。
独自で開拓したこの技法で、漆黒の中に浮かぶ赤いさくらんぼや青い蝶を、幻想的に表現した浜口。
彼のカラーメゾチントの作品は、様々な国際美術展にて受賞し、世界でも高い評価を得ていきます。

1955年

最初の四色カラーメゾチントを制作「西瓜」

1957年

第1回東京国際版画ビエンナーレで東京国立近代美術館賞を受賞「水差しとぶどうとレモン」「青いガラス」。サンパウロ・ビエンナーレの日本代表に選ばれ、日本人として初めて版画大賞を受賞する。

1961年

リュブリアナ国際版画展(ユーゴスラビア)で受賞

1962年

浜口陽三作品集が美術出版社から刊行される。

アメリカへの移住、そして日本へ

アメリカへの移住、そして日本へ

1981年、浜口は長く住み慣れたパリを後にし、新天地サンフランシスコへと移住します。
そこから約15年間、精力的にカラーメゾチントの制作を行いました。
そして晩年、87歳のときに日本に帰国。
亡くなる2年前には、これまで制作した作品の数々が収められた「ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション」も東京・日本橋に開館するなど、20世紀を代表する銅版画家としての地位を確立しました。

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購入後の流れ、売却なども視野に入れた具体的な内容をアドバイスします。

お電話、メールでもお気軽にお問い合わせください。

TEL:03-3561-1152(平日土/10:00~18:00)
メール:info@suiha.co.jp


翠波画廊では、浜口陽三作品の買取も行っております。浜口陽三作品の売却をお考えの方は、ご相談ください。買取査定は無料です。メール、電話などお気軽にお問い合わせください。

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浜口陽三略歴

YOZO HAMAGUCHI

 

1909年 和歌山県に生まれる。
1915年 千葉県銚子市に移住
1930年 梅原龍三郎の助言により東京美術学校を中退、渡仏
1937年 最初の銅版画制作「猫」
1940年 第2次世界大戦のため帰国
1951年 東京・上目黒にアトリエを新築。銀座にて浜口陽三展を開催
1953年 銀座にて浜口陽三銅版画展を開催。再び渡仏、パリに定住
1954年 現代日本美術展で受賞「スペイン風油入れ」「ジプシー」この年、サロン・ドートンヌに銅版画を出品。会員となる。「魚と果実」をフランス政府とパリ市が購入。
1955年 最初の四色カラーメゾチントを制作「西瓜」
1957年 第1回東京国際版画ビエンナーレで東京国立近代美術館賞を受賞「水差しとぶどうとレモン」「青いガラス」。サンパウロ・ビエンナーレの日本代表に選ばれ、日本人として初めて版画大賞を受賞する。
1961年 リュブリアナ国際版画展(ユーゴスラビア)で受賞
1962年 浜口陽三作品集が美術出版社から刊行される。
1972年 第4回クラコウ国際版画
1981年 パリからサンフランシスコに移住
1982年 北カリフォルニア版画大賞展でグランプリ受賞「西瓜」
1984年 サラエボ冬季オリンピック大会でオリンピック記念ポスターに「さくらんぼと青い鉢」が採用される
1996年 帰国
1998年 東京にミュゼ浜口陽三が開館
2000年 12月25日、逝去

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