モーリス・ユトリロ
作品一覧
ユトリロの作品は画廊にてご覧いただけます。
作品一覧よりご興味のある作品がございましたらお気軽にお問い合わせください。
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作家モーリス・ユトリロ 題名ボワシエの教会 技法油彩 15号
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作家モーリス・ユトリロ 題名ムーラン・ド・ラ・ギャレット、モンマルトル 技法グワッシュ・水彩
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作家モーリス・ユトリロ 題名ムーラン・ド・ラ・ギャレット(サイン入り) 技法リトグラフ(石版画)
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作家モーリス・ユトリロ 題名幻の村:ラパン 技法ポショワール
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作家モーリス・ユトリロ 題名幻の村:古びた中学校 技法ポショワール
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作家モーリス・ユトリロ 題名幻の村:村の道 技法ポショワール
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作家モーリス・ユトリロ 題名幻の村:サン=ベルナールの城 技法ポショワール
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作家モーリス・ユトリロ 題名幻の村:モンマルトルのモチーフ 技法ポショワール
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作家モーリス・ユトリロ 題名パリキャピタル:ルーヴル美術館 技法リトグラフ (石版画)
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作家モーリス・ユトリロ 題名生涯と伝説:アンリ4世の藁葺き屋根の家(カラー) 技法リトグラフ(石版画)
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作家モーリス・ユトリロ 題名生涯と伝説:アジル・ド・ヴィルジュイフの中庭 技法リトグラフ(石版画)
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作家モーリス・ユトリロ 題名生涯と伝説:ムーラン・ド・ラ・ギャレット 技法リトグラフ(石版画)
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作家モーリス・ユトリロ 題名ノルヴァン通り (当画廊版元版画) 技法リトグラフ
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SOLD OUT 作家モーリス・ユトリロ 題名ノルヴァン通り、モンマルトル 技法油彩 24x24cm
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SOLD OUT 作家モーリス・ユトリロ 題名コンピエーニュの兵舎 技法油彩 20x24cm
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SOLD OUT 作家モーリス・ユトリロ 題名ブレッサンの教会 技法油彩 32.5x24.8cm
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SOLD OUT 作家モーリス・ユトリロ 題名ジャン・デュラン通りとスタンの教会(セーヌ=サン=ドニ) 技法油彩 10号
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SOLD OUT 作家モーリス・ユトリロ 題名サンジェルマン・デ・プレ教会、パリ 技法グワッシュ 49x32cm
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SOLD OUT 作家モーリス・ユトリロ 題名サン・ベルナールの城(アン県) 技法グワッシュ 31.2x39.5cm
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SOLD OUT 作家モーリス・ユトリロ 題名ラパン・アジル、モンマルトル 技法油彩
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SOLD OUT 作家モーリス・ユトリロ 題名ヴィルタヌーズの教会 技法油彩 15号
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SOLD OUT 作家モーリス・ユトリロ 題名モンマルトルのムーラン・ド・ラ・ギャレット 技法油彩 サムホール
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SOLD OUT 作家モーリス・ユトリロ 題名モンマルトルのミミ・パンソンの家 技法油彩 12号
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SOLD OUT 作家モーリス・ユトリロ 題名ラパン・アジル 技法グワッシュ
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SOLD OUT 作家モーリス・ユトリロ 題名ポトー通り 技法グワッシュ
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SOLD OUT 作家モーリス・ユトリロ 題名モンマルトルのノルヴァン通り 技法銅版画
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SOLD OUT 作家モーリス・ユトリロ 題名リムールの教会(カラー ジャック・ヴィヨン版) 技法銅版画
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SOLD OUT 作家モーリス・ユトリロ 題名デブレーの農家(サイン有) 技法リトグラフ(石版画)
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SOLD OUT 作家モーリス・ユトリロ 題名幻の村:バスティーユの洗濯屋 技法ポショワール
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SOLD OUT 作家モーリス・ユトリロ 題名幻の村:サン=ピエール教会 技法ポショワール
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SOLD OUT 作家モーリス・ユトリロ 題名幻の村:サン・ピエール教会 技法ポショワール
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SOLD OUT 作家モーリス・ユトリロ 題名幻の村:古きサン=ヴァンサン通り 技法ポショワール
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ユトリロ 絵画販売サイト
エコール・ド・パリの画家 モーリス・ユトリロ
1883~1955年
ユトリロ作品を数多く取り揃え、展示販売しています

翠波画廊では、油彩・グワッシュ・直筆サイン入りオリジナル版画までユトリロ作品を幅広い価格で取り揃え販売しております。エコール・ド・パリの画家たちの中でも最も早く、すでに大正末期には日本に紹介され、これまで多くの展覧会が開催されるなど、パリの街を詩情豊かに描くユトリロは今なお強く愛され続けています。存の画家の場合は、画家から直接買い付けることができますが、物故画家となるとそういうわけにはいきません。そのため翠波画廊では、珍しい作品や人気のユトリロ作品を仕入れるためフランスにスタッフを常駐させ、仕入れには力を入れています。
油絵から水彩画・素描・オリジナル版画まで豊富に
ユトリロ絵画販売サイトでは、油彩、グワッシュ、オリジナル版画まで幅広く取り揃え販売しております。
絵画販売サイトに掲載されている絵画は、翠波画廊にご来廊いただければ、現品をご覧いただけます。
油彩
「ノルヴァン通り、モンマルトル」
24x24cm
ジャン・ファブリスとセドリック・パイエ連名の鑑定書付
鮮やかな色彩が表れた「色彩の時代」の作品。翠波画廊では、油彩やグワッシュなどの肉筆画は、鑑定書付きのもの
だけをご紹介しております。
グワッシュ
「サン・ベルナールの城(アン県)」
1934年 31.2x39.5cm
ジャン・ファブリスとセドリック・パイエ連名の鑑定書付
テキストテキストテキストテキストテキスト
リトグラフ
「ムーラン・ド・ラ・ギャレット(サイン入り)」
1924年 23×30.3cm
ユトリロの自筆サイン入りのリトグラフ作品。
ポショワール
「幻の村:モンマルトルの小径」
1950年 31.5×26㎝
著者ジャン・ヴェルテックスの書いた1920年~50年までの30年間、モンマルトルに集まった芸術家たちの人間模様などを綴った年代記風の物語にユトリロが12点の挿画を入れた画文集。
ユトリロ絵画販売サイトに掲載されていない絵画もございます。
お探しの作品がございましたら、翠波画廊にお問い合わせください。
真贋には細心の注意を

翠波画廊では、油彩やグワッシュなどの肉筆画は、鑑定書付きのものだけをご紹介しております。ユトリロの原画は、ユトリロの著作権継承者であり、鑑定家でもあったジャン・ファブリス氏が2015年11月に亡くなってからは、長年ファブリス氏の秘書を務めたセドリック・パイエ氏が後継者として鑑定を引き継いでいます。晩年ファブリス氏は、セドリック氏と二人で意見をすり合わせ、時には見解の相違を話し合うなどして連名で鑑定書を書いていました。
カタログレゾネ

安心の返品保証
ご購入時の安心材料として、30日以内の返品受付、返品保証を行っており、
もしお部屋に飾って合わない場合は30日以内の返品を受け付けております。
ユトリロ作品のご購入をご検討の方
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お電話でもお気軽にご相談ください。
TEL:03-3561-1152
(平日土/10:00~18:00)
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モーリス・ユトリロの生涯
パリの街を詩情豊かに描く人気作家

モンマルトルで生まれ育ち、モンマルトルで生涯を終えた生粋のパリジャン、ユトリロ。
キュビズムやシュルレアリズムなど、多くの芸術運動がおこった時代を生きながら、一貫してパリの街並みを描き続けたユトリロは、その作品によって一躍人気を得、若くして画家として成功をおさめました。しかし、その成功とは裏腹にアルコール依存や精神病で入退院を繰り返し、その生涯は悲劇に満ちたものでした。エコール・ド・パリの画家たちの中でも最も早く、すでに大正末期には日本に紹介され、これまで多くの展覧会が開催されるなど、パリの街を詩情豊かに描くユトリロは今なお強く愛され続けています。
時代による作風の変遷

パリの風景を描くユトリロですが、その作品は時代によって分類されます。
1904~08年 モンマニ―の時代
1910~14年 白の時代
1920~55年 色彩の時代
「白の時代」が有名で人気もあり、現在の価格的にも高くなっていますが、ユトリロは生涯を通してパリを描き続けました。
その時代ごとに良い作品が残っています。
1883年 | 12月26日、マリー=クレマンティーヌ・ヴァラドン(シュザンヌ)の息子としてパリ18区ポトー通り8番地で生まれる。 |
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1898年 | コレージュ・ロランに入学するが、中退、職を転々とする。 |
1904年 | アルコール中毒のため、パリのサン=タンヌ病院に入院する。4ヶ月後、モンマニイの家に移り、最初はデッサン、その後本格的に絵を描き始める。 |
1904~08年 モンマニ―の時代
アルコール依存で入院したことをきっかけに絵を描き始めたユトリロが、
退院後に祖母と共に暮らしたパリ郊外のモンマニ―の風景を描いていた時代。
1905年 | 特にモンマニーとパリのセーヌ河岸を描く。 |
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1908年 | 印象派(シスレー、ピサロ)の影響を受け、糊や砂とともに石灰石やセメントを黒、ジンクホワイト、イエローオーカー、ウルトラマリン、マッダレーキといった限られた絵の具に混ぜてマチエールを創る。 |
1909年 | 作品が初めて画商のルイ・リボードに売れる。 |
1910~14年 白の時代
ユトリロが最も画家として充実していた時代。“白の時代”と呼ばれる所以は、絵の中に白い建物が多く描かれているから。この白を強調するためにパリの街中に落ちている建物の漆喰を絵具に混ぜていたともいわれています。この5年間に500点もの絵を描き、評価を高めていきました。代表作「ヴィルタヌーズの教会」
1910年 | カッペルレ兄弟とポール・ガリマールがユトリロの作品を複数買う。 |
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1914年 | 3月2日、ホテル・ドルオーでの競売会「熊の皮」で、ユトリロの作品が初めて高値で売れる。パリのモン=スニ通り33番地でカフェを経営していたゲイ親父の所に泊まり数週間で数点の傑作を制作。「白の時代」の絶頂期。 |
1919年 | ユトリロの重要な作品による展覧会がパリのルプートル画廊で開かれる。 |
1920-55年 色彩の時代
“白の時代”を経て、経済的にも豊かになったユトリロは高価な絵具を使うようになり、色鮮やかな色彩を使った穏やかな印象の絵を描いた時代。
1921年 | サンテ刑務所に未決勾留される。モンマルトルの丘への立ち入りを禁じられ、家族は彼をボージョレーに連れていく。葡萄園主の家でアルコール中毒の治療。フランシス・カルコが、ヌーベル・フランセーズ社から27点の絵とデッサンの図版が入ったユトリロについての研究書を出版する。 |
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1922年 | 「色彩の時代」の入り口にあって、奥行きのあるハイパーリアリズムを試み始める。今までで最も強い線が、懸命に自分を奮い立たせよう、構築しようとするユトリロの衰えつつある気持ちを暗示している。 |
1924年 |
「ムーラン・ド・ラ・ギャレット(サイン入り)」 リトグラフ(石版画) 20部
色彩の時代。ユトリロ自ら版を手掛け、20部限定で直筆サインを入れた希少なリトグラフ。自らを奮い立たせようとするかのような黒く強い線が魅力です。
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1925年 | セルゲイ・ディアギレフのロシア・バレエ団のために舞台装飾をする。 |
1927年 |
「生涯と伝説」 リトグラフ(石版画) 100部
1927年制作のリトグラフ「生涯と伝説」挿画本。ユトリロゆかりの場所が描かれ、モノクロの画面からもユトリロ世界の色彩が感じられるほど味わい深い小品。
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1928年 | 8月1日、レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエ章と教育功労章を授与される。 |
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1931年頃 | 「ノルヴァン通り」油彩 |
1935年 | 4月8日、リュシー・ポーヴェルと結婚式をあげる。 |
1938年 | 4月7日、シュザンヌ・ヴァラドンが死去する。 |
1947年 |
「モンマルトル・ベキュ」リトグラフ(石版画) 240部
モンマルトル・ベキュとは、” 過ぎし日のモンマルトル”の意味。ユトリロとパリが最も輝いていた1910年代に愛惜を込めて描いたリトグラフ集。
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1950年 |
「幻の村」
著者ジャン・ヴェルテックスの書いた第一次大戦後の1920年~50年までの30年間、モンマルトルに集まった芸術家たちの人間模様などが綴られた年代記風の物語にユトリロが12点のポショワールによる挿画を入れた豪華な画文集。モンマルトルを愛したユトリロの代表的な挿画本のひとつ。
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ポショワールとは・・・
ステンシルの一種。一色一色の型付き板をつくり、それを用紙にあてがい、型板の孔から刷毛で色を刷り込んでゆく手仕事。フランスでは児童の美術教材に使われることがある。合羽版と似ている。
1955年 |
「パリキャピタル」リトグラフ 197部
ユトリロとしては珍しい、パリの旧所名跡を描いたリトグラフ集。“ルマーク”というリトグラフの余白部分に版上マークが刷られている。ルマークはカラーリトグラフ10枚それぞれ違うモチーフ。ルマークが入っている作品は197部のうち25部限定。
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1955年 | 10月17日、パリ市から金メダルを授与される。テルトル広場で、サシャ・ギトリィ監督の映画「もしパリが私に物語っていたなら」に出演する。 11月5日、モーリス・ユトリロはダックス(ラーンド県)で死去する。 |
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1956年 |
「ユトリロⅤ」リトグラフ 197部
ジャン・コクトーやアンドレ・モロワによるユトリロについて書かれたテキストと、ユトリロの母であるシュザンヌ・ヴァラドンの版画なども含むユトリロの代表的なリトグラフ集。カラーリトグラフ7枚のほか、モノクロリトグラフなどを含む。刷はムルロー工房(現イデム・パリ)。
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「ノルヴァン通り」の版画について
フランスの個人コレクションに収蔵されているユトリロの1931年頃に描かれた代表作を、ユトリロの著作権継承者、故 ジャン・ファブリス氏の監修のもと、パリの歴史あるムルロー工房(現イデム・パリ)で、摺師、レイモン・レオ氏により制作されたリトグラフです。20版20色を使用することにより、ユトリロの複雑な色彩とマチエールの再現につとめ、ジャン・ファブリス氏の自筆サインを入れ、史上初めて発行されたものです。
ユトリロの値段について
~『「値段」で読み解く 魅惑のフランス近代絵画』(幻冬舎刊)より一部抜粋
ユトリロといえば「白の時代」が有名で人気もあり、価格的にも高くなっていますが、それ以外の時代の作品にも良いものは多いです。 ただ、ユトリロほど、絵の良し悪しが値段に反映される画家は少ないと思います。建物が遠近感と立体感を伴って、堅牢にそこにあるかのように立っている絵は評価も高く人気があります。1913年からは経済的にも恵まれ高価な絵具を使用するようになり「色彩の時代」へと画風が変わっていきます。白の時代では心に秘めた寂しさを投影するような、それが見るものに強く訴えかけてくる険しさがありましたが、色彩の時代に入ると鮮やかな色彩を使った穏やかな印象の絵に変わっていきます。私は、この時代以降の作品からは、ユトリロが描くことの楽しさに目覚めたような自由さを感じます。それ以降もユトリロは画風を変え、生涯絵を描き続けました。
もっと詳しく知りたい方は・・・
『「値段」で読み解く 魅惑のフランス近代絵画』(幻冬舎刊)
全国書店、amazonで好評販売中
翠波画廊では、ユトリロ作品の買取も行っております。ユトリロの絵画・版画作品の売却をお考えの方は、ご相談ください。買取査定は無料です。メール、電話などお気軽にお問い合わせください。
ユトリロ作品のご購入をご検討の方

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(平日土/10:00~18:00)
お問い合わせお待ちしております。
モーリス・ユトリロ 略歴 MAURICE UTRILLO
1883年 | 12月26日、マリー=クレマンティーヌ・ヴァラドン(シュザンヌ)の息子としてパリ18区ポトー通り8番地で生まれる。 |
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1898年 | コレージュ・ロランに入学するが、中退、職を転々とする。 |
1904年 | アルコール中毒のため、パリのサン=タンヌ病院に入院する。4ヶ月後、モンマニイの家に移り、最初はデッサン、その後本格的に絵を描き始める。 |
1904-08年 モンマニ―時代 |
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1905年 | 特にモンマニーとパリのセーヌ河岸を描く。 |
1908年 |
印象派(シスレー、ピサロ)の影響を受け、糊や砂とともに石灰石やセメントを黒、ジンクホワイト、イエローオーカー、ウルトラマリン、マッダレーキといった限られた絵の具に混ぜてマチエールを創る。 |
1909年 |
作品が初めて画商のルイ・リボードに売れる。 |
1910-14年 白の時代 |
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1910年 | カッペルレ兄弟とポール・ガリマールがユトリロの作品を複数買う。 |
1914年 |
3月2日、ホテル・ドルオーでの競売会「熊の皮」で、ユトリロの作品が初めて高値で売れる。パリのモン=スニ通り33番地でカフェを経営していたゲイ親父の所に泊まり数週間で数点の傑作を制作。「白の時代」の絶頂期。 |
1919年 |
ユトリロの重要な作品による展覧会がパリのルプートル画廊で開かれる。 |
1920-55年 色彩の時代 |
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1921年 |
サンテ刑務所に未決勾留される。モンマルトルの丘への立ち入りを禁じられ、家族は彼をボージョレーに連れていく。葡萄園主の家でアルコール中毒の治療。フランシス・カルコが、ヌーベル・フランセーズ社から27点の絵とデッサンの図版が入ったユトリロについての研究書を出版する。 |
1922年 |
「色彩の時代」の入り口にあって、奥行きのあるハイパーリアリズムを試み始める。今までで最も強い線が、懸命に自分を奮い立たせよう、構築しようとするユトリロの衰えつつある気持ちを暗示している。 |
1925年 |
セルゲイ・ディアギレフのロシア・バレエ団のために舞台装飾をする。 |
1928年 |
8月1日、レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエ章と教育功労章を授与される。 |
1935年 |
4月8日、リュシー・ポーヴェルと結婚式をあげる。 |
1938年 |
4月7日、シュザンヌ・ヴァラドンが死去する。 |
1955年 |
10月17日、パリ市から金メダルを授与される。テルトル広場で、サシャ・ギトリィ監督の映画「もしパリが私に物語っていたなら」に出演する。 11月5日、モーリス・ユトリロはダックス(ラーンド県)で死去する。
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