ジョアン・ミロ
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スペインの巨匠ジョアン・ミロ

1893~1983年

ミロ作品を数多く取り揃え、展示販売しています

2,000枚以上の油彩、この他にも水彩、版画、彫刻や壁画、舞台装飾などを残した、枠にとらわれることのない表現者ミロ。シュルレアリズムの代表画家ミロの作品は、現在でもオークションで取引されるなどファンの方は絶えません。そのため翠波画廊では多くのお客様にミロの絵をご紹介することができるよう、積極的に仕入れ、販売しています。現存の画家の場合は、画家から直接買い付けることができますが、物故画家となるとそういうわけにはいきません。そのため翠波画廊では、珍しい作品やミロの人気作品を仕入れるためフランスにスタッフを常駐させ、仕入れには力を入れています。

オリジナル版画を中心に豊富な在庫作品

翠波画廊にご来廊いただければ、ミロの代表作や人気作品の現品をご覧いただけます。

銅版画

「エジプト紀行 Ⅴ」

1985年 25部 60x42.5㎝

 

リトグラフ

「黄金の羽根を持つトカゲ790」

1971年 EA 34x47.8cm

 

ミロの作品は他にもございます。是非作品一覧をご覧ください。。

作品一覧

真贋には細心の注意を

翠波画廊では、原画は鑑定書の付いたものだけを取り扱っていますが、版画作品には鑑定書が発行されません。ミロは、70年にわたる画業の中で、油彩、版画、陶器、壁画、タペストリーと数多くの作品を残しています。中でも、版画作品は2,000点以上にものぼります。銅版画、リトグラフ、木版画、とその技法も多岐にわたりました。翠波画廊では、銅版画、リトグラフ、挿画本、それぞれのカタログレゾネに掲載されている、オリジナル版画を扱っております。

安心の返品保証

ご購入時の安心材料として、30日以内の返品受付、返品保証を行っており、
もしお部屋に飾って合わない場合は30日以内の返品を受け付けております。

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ジョアン・ミロの生涯


 

スペインの巨匠

ピカソ、ダリと並ぶスペインの巨匠、ジョアン・ミロ。
シュルレアリズムの代表画家として知られていますが、彼は2,000枚以上の油彩、この他にも水彩、版画、彫刻や壁画、舞台装飾などを残した、枠にとらわれることのない表現者でありました。
1893年にスペインはバルセロナで生まれたミロは、厳格な両親のもと商業学校へ通い、商社へと勤めましたが、幼いころから親しんできた絵画をあきらめることができず、病気療養を機に本格的に美術学校へと通うようになりました。
第一次世界大戦中には自由を求めた多くの画家がバルセロナに集まり、ミロもダダイズムやアバンギャルドの影響を受けたといわれています。

 

シュルレアリズムの画家

第一次世界大戦が終わると、ミロはパリへと出向き、詩人ポール・エリュアールとの出会いからシュルレアリズムへと傾倒していきます。
それまでの写実的表現から、幻覚的なフォルムや感覚で描くことに挑戦し、また絵画だけでなくコラージュのような作品も多く制作し始めました。
シュルレアリズムに分類されるミロの作品ですが、星や月、動物など素朴なモチーフが多く、自由な発想が感じられる作品が多数あります。
第二次世界大戦中は一度スペインへ戻っていましたが、終戦後は再びパリで活動を始めました。
ピカソやマチス、シャガールなどのリトグラフも手掛けたムルロー工房(現イデム)で本格的に版画制作に励み、生涯で延べ2,000点以上の作品を残しました。

 

シュルレアリズムとは・・・

シュルレアリズムとは、第一次世界大戦後におこった文学や芸術の革新運動。超現実主義と訳されます。
芸術のほか、政治や思想、文学など多くの分野に影響を与えました。第一次世界大戦後の不安定な情勢の中、「無意識」の領域を表現することで、本当の自己や思想を表現しようとした考え方です。画家ではミロのほか、ダリやキリコが有名です。

 

ミロと日本

ミロは、日本の「書」や美術にも強い興味を持っており、巻物のような作品も残しています。また、1966年には東京と京都での回顧展のために来日。「書」の手ほどきを受けたり、和筆や墨を購入し、実際にそれらを使ったと見受けられる作品も沢山あり、ミロの後期の作品には色濃くその特徴が出ているといわれています。
また、絵画作品のほかセラミックの制作にも力を入れ、生涯で400点もの作品を制作しました。大阪万博ガス館の陶板壁画「無垢の笑い」はミロとスペインの陶芸家アルティガスの合作として制作されました。現在は大阪にある国立国際美術館に所蔵されています。

 

1893年 ジョアン・ミロ、4月20日スペインのバルセロナに生まれる。
1900年 バルセロナの小学校に入学。そのかたわら、教師からデッサンを習う。少年時代は夏をコルヌデリャとマジョルカ島で過ごす。
1907年 商業学校に入学。同時にラ・ロンハの美術学校に通い、ムデスト・ウルヘイとジュゼップ・パスコの指導を受ける。
1910年 両親の希望により、ダルマウ・オリベス商会の簿記係として就職するが、環境に適応できず、神経衰弱を患う。
1912年 ガリ美術学校に入学。30年後に陶芸を教えてくれることになるジュゼップ・ロレンス・アルティガスや画商のE.C.リカルトと親交を結ぶ。
1915年 ガリ美術学校を卒業。
生涯の友となるジョアン・プラッツやJ.F.ラフォルスと友情を結ぶ。
サン・ペドロ街にリカルトと共同のアトリエを借りる。
1916年 バルセロナの画商、ダルマウに出会う。
フランスの詩やアヴァン・ギャルドの雑誌を読む。
1917年 ダルマウを通じてダダの雑誌『391』を主宰していたピカビアと出会う。
1918年 ダルマウ画廊で最初の個展を開催。
アグルパシオ・クールベ(クールベの仲間たち)を創設する。
1919年 ジョアン・ミロ、初めてパリを訪れる。
ピカソに会う。
1920年 春までパリに住む。以後冬をパリで夏をモンロチで過ごすようになる。ルベルディ、トリスタン・ツァラ、マックス・ジャコブらと出会う。ダダの運動に参加する。
1921年 ラ・リコルヌ画廊でダルマウの企画による最初の個展を開催、この時のカタログの序文をモーリス・レイナルが執筆する。
1922年 ブロメ通りのアトリエで制作。
アンドレ・マッソン、ジョルジュ・ランブール、アントナン・アルトー、アルマン・サラクロー、ミシェル・レリス、ロラン・テュアルらと交友。
1924年 《耕地》、《カタロニア風景》が完成。
ポール・エリュアール、アンドレ・ブルトン、ルイ・アラゴンらに出会う。
この年、シュルレアリスム第1宣言が発表される。
1925年 パリ、ピエール画廊で最初の個展を開催する。カタログの序文はバンジャマン・ペレ。また、同画廊で開かれた《シュルレアリスム》展に参加。
1926年 ロシア・バレエ団による《ロミオとジュリエット》のための舞台装置をマックス・エルンストとともに手がける。
7月、父が死去。パリを発ち、夏をモンロチで過ごす。
1927年 エルンスト、アルプ、ボナール、マグリットらの住むモンマルトルのトゥルーラック通りにアトリエを移す。
1929年 パルマ・デ・マジョルカでピラール・ジュンコサと結婚。
パリ、フランソワ・ムートン街3番地に新居を構える。
空想的肖像画《プロシアの女王ルイーズ》《ラ・フォルナリーナ》を描く。
1932年 レオニート・マッサンヌ振付のロシア・バレエ『子供の遊び』のための緞帳、衣装、舞台装置、舞台装飾をデザインする。
ニューヨークのピエール・マティス画廊で最初の個展を開催。
1933年 パリ、ジョルジュ・ベルネーム画廊で個展を開催。
ジョルジュ・ユニエの『幼年期』のために最初のエッチングによる版画作品を制作。
カンディンスキーに出会う。
1934年 チューリッヒのクンストハウスで個展。
パステルやサンドペーパーを使った大作に取り組む。
タピスリーの下絵『蝸牛、女、花、星』を制作。
1935年 カナリー諸島のテネリフェ島で開かれた「シュルレアリスム」展に出品。
1936年 パリの印象派美術館で開催された「現代スペイン」展に出品。パリ万国博覧会にスペイン館のための壁画《刈り入れ人》を制作。
1938年 マルクーシのアトリエでロジェ・ラクリエール、スタンリー・ヘイターらと共にエッチングとドライポイントを学ぶ。
1940年 この頃、ジョルジュ・ブラックと親交を結ぶ。
グアッシュによる《星座》の連作に着手。
1941年 《星座》の連作を完成する。
ニューヨーク近代美術館において初の大回廊展が開催される
1944年 5月、母が死去。
ローレンス・アルティガスの協力を得て、最初のセラミック作品を制作。
1946年 ボストンで開催された「4人のスペイン人」展にダリ、ピカソ、グリスと共に出品する。
1949年 ベルン・クンストハレで回廊展
1950年 パリのマーグ画廊で彫刻、オブジェ、版画による個展を開催。
1951年 ニューヨークのピエール・マティス画廊で個展を開催。
ヒューストンのコンテンポラリー・アーツ・アソシエーションで「コールダー=ミロ」展が開催される。
1953年 パリのマーグ画廊で個展を開催。
ニューヨークのピエール・マティス画廊で個展が開催される。
アルティガスと共同でセラミック作品の制作に入る。(1953年から56年にかけてバルセロナのガリファで386枚の陶板を制作する。)
1954年 ドイツのカイザー・ヴィルヘルム美術館で回顧展が開催され、シュトゥットガルトとベルリンに巡回される
第27回ヴェネツィア・ビエンナーレで版画部門の国際大賞を受ける。
1957年 ドイツのカイザー・ヴィルヘルム美術館で全版画作品の展覧会が開催され、ベルリン、ミュンヘン、ケルン、ハノーヴァー、ハンブルクに巡回される。
1938年

ミロ オーロラの指輪

「オーロラの指輪」

「オーロラの指輪」銅版画 60部

 

ルネ・クレヴェルによる「オーロラの指輪」のために制作された銅版画の挿画本。星や人物、鳥などが鮮やかな色と共に描かれている。

 

「オーロラの指輪」作品一覧ページ >>

1960年 第2回東京国際ビエンナーレ展に出品。
ハーヴァード大学の陶壁画を制作。
1962年 パリの国立近代美術館でミロ大回顧展が開催される。
1966年 東京と京都でのミロ大回顧展のために初来日する。
1966年

ミロ ユビュ王

「ユビュ王」

「ユビュ王」リトグラフ(石版画) 205部

 

フランスの劇作家・詩人であるアルフレッド・ジャリの戯曲「ユビュ王」に添えられたリトグラフの連作。大胆な構図と色彩で描かれている。戯曲「ユビュ王」はミロ以前にも、ルオーやピカソにも画題として取り上げられている。

 

「ユビュ王」作品一覧ページ >>

1971年 ニューヨークのグッケンハイム美術館にミロの壁画が設置される。
1970年 ニューヨークのピエール・マティス画廊で彫刻作品の個展を開催。
1966年

ミロ 黄金の羽根を持つトカゲ

「黄金の羽根を持つトカゲ」

「黄金の羽根を持つトカゲ」リトグラフ(石版画)

 

自作の詩に絵を付けた詩画集。同じ画題で1967年にもリトグラフが制作されたが、色刷りが思わしくなかったため、廃版、1971年に改めて作り直された。

 

「黄金の羽根を持つトカゲ」作品一覧ページ >>

1973年 サン・ポール・ド・ヴァンスのマーグ財団で彫刻、セラミック作品による個展が開催される。
ニューヨーク近代美術館で「ニューヨーク近代美術館のミロ・コレクション」展が開催される。
1975年 バルセロナのモンジュイック公園内にホセ・ルイス・セルト設計によるジョアン・ミロ財団-
現代美術研究センターがオープンする。
1979年 マーグ財団で絵画、彫刻、素描、水彩による回顧展開催。
1982年 テキサス、ヒューストン美術館で「アメリカにおけるミロ」展が開催される。
1983年 バルセロナのミロ財団で1920年代の絵画による「ジョアン・ミロ:Anys20」展が開催される。
12月25日、パルマ・デ・マジョルカの自宅で逝去。
1985年

ミロ エジプト紀行

「エジプト紀行」

「エジプト紀行」 銅版画 25部

 

ミロ最晩年の作品「エジプト紀行」シリーズ。25部限定の直筆サイン入り銅版画。

 

「エジプト紀行」作品一覧ページ >>

 

デリエール・ル・ミロワールについて

1947年から1982年にかけてエメ・マーゲにより出版された美術雑誌「デリエール・ル・ミロワール」は、特集されたアーティストのオリジナル版画が収録された豪華本。年間4~8冊が制作され、37年の間に延べ253号が刊行、ミロのほか、シャガールやブラックなど20世紀を代表する巨匠の特集号も出版されました。

 

翠波画廊では、ミロ作品の買取も行っております。ミロの絵画・版画作品の売却をお考えの方は、ご相談ください。買取査定は無料です。メール、電話などお気軽にお問い合わせください。

 

 

 

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TEL:03-3561-1152
(平日土/10:00~18:00)

お問い合わせお待ちしております。

略歴

1893年 ジョアン・ミロ、4月20日スペインのバルセロナに生まれる。
1900年 バルセロナの小学校に入学。そのかたわら、教師からデッサンを習う。少年時代は夏をコルヌデリャとマジョルカ島で過ごす。
1907年 商業学校に入学。同時にラ・ロンハの美術学校に通い、ムデスト・ウルヘイとジュゼップ・パスコの指導を受ける。
1910年 両親の希望により、ダルマウ・オリベス商会の簿記係として就職するが、環境に適応できず、神経衰弱を患う。
1912年 ガリ美術学校に入学。30年後に陶芸を教えてくれることになるジュゼップ・ロレンス・アルティガスや画商のE.C.リカルトと親交を結ぶ。
1915年 ガリ美術学校を卒業。
生涯の友となるジョアン・プラッツやJ.F.ラフォルスと友情を結ぶ。
サン・ペドロ街にリカルトと共同のアトリエを借りる。
1916年 バルセロナの画商、ダルマウに出会う。
フランスの詩やアヴァン・ギャルドの雑誌を読む。
1917年 ダルマウを通じてダダの雑誌『391』を主宰していたピカビアと出会う。
1918年 ダルマウ画廊で最初の個展を開催。
アグルパシオ・クールベ(クールベの仲間たち)を創設する。
1919年 ジョアン・ミロ、初めてパリを訪れる。
ピカソに会う。
1920年 春までパリに住む。以後冬をパリで夏をモンロチで過ごすようになる。ルベルディ、トリスタン・ツァラ、マックス・ジャコブらと出会う。ダダの運動に参加する。
1921年 ラ・リコルヌ画廊でダルマウの企画による最初の個展を開催、この時のカタログの序文をモーリス・レイナルが執筆する。
1922年 ブロメ通りのアトリエで制作。
アンドレ・マッソン、ジョルジュ・ランブール、アントナン・アルトー、アルマン・サラクロー、ミシェル・レリス、ロラン・テュアルらと交友。
1924年 《耕地》、《カタロニア風景》が完成。
ポール・エリュアール、アンドレ・ブルトン、ルイ・アラゴンらに出会う。
この年、シュルレアリスム第1宣言が発表される。
1925年 パリ、ピエール画廊で最初の個展を開催する。カタログの序文はバンジャマン・ペレ。また、同画廊で開かれた《シュルレアリスム》展に参加。
1926年 ロシア・バレエ団による《ロミオとジュリエット》のための舞台装置をマックス・エルンストとともに手がける。
7月、父が死去。パリを発ち、夏をモンロチで過ごす。
1927年 エルンスト、アルプ、ボナール、マグリットらの住むモンマルトルのトゥルーラック通りにアトリエを移す。
1929年 パルマ・デ・マジョルカでピラール・ジュンコサと結婚。
パリ、フランソワ・ムートン街3番地に新居を構える。
空想的肖像画《プロシアの女王ルイーズ》《ラ・フォルナリーナ》を描く。
1932年 レオニート・マッサンヌ振付のロシア・バレエ『子供の遊び』のための緞帳、衣装、舞台装置、舞台装飾をデザインする。
ニューヨークのピエール・マティス画廊で最初の個展を開催。
1933年 パリ、ジョルジュ・ベルネーム画廊で個展を開催。
ジョルジュ・ユニエの『幼年期』のために最初のエッチングによる版画作品を制作。
カンディンスキーに出会う。
1934年 チューリッヒのクンストハウスで個展。
パステルやサンドペーパーを使った大作に取り組む。
タピスリーの下絵『蝸牛、女、花、星』を制作。
1935年 カナリー諸島のテネリフェ島で開かれた「シュルレアリスム」展に出品。
1936年 パリの印象派美術館で開催された「現代スペイン」展に出品。パリ万国博覧会にスペイン館のための壁画《刈り入れ人》を制作。
1938年 マルクーシのアトリエでロジェ・ラクリエール、スタンリー・ヘイターらと共にエッチングとドライポイントを学ぶ。
1940年 この頃、ジョルジュ・ブラックと親交を結ぶ。
グアッシュによる《星座》の連作に着手。
1941年 《星座》の連作を完成する。
ニューヨーク近代美術館において初の大回廊展が開催される
1944年 5月、母が死去。
ローレンス・アルティガスの協力を得て、最初のセラミック作品を制作。
1946年 ボストンで開催された「4人のスペイン人」展にダリ、ピカソ、グリスと共に出品する。
1949年 ベルン・クンストハレで回廊展
1950年 パリのマーグ画廊で彫刻、オブジェ、版画による個展を開催。
1951年 ニューヨークのピエール・マティス画廊で個展を開催。
ヒューストンのコンテンポラリー・アーツ・アソシエーションで「コールダー=ミロ」展が開催される。
1953年 パリのマーグ画廊で個展を開催。
ニューヨークのピエール・マティス画廊で個展が開催される。
アルティガスと共同でセラミック作品の制作に入る。(1953年から56年にかけてバルセロナのガリファで386枚の陶板を制作する。)
1954年 ドイツのカイザー・ヴィルヘルム美術館で回顧展が開催され、シュトゥットガルトとベルリンに巡回される
第27回ヴェネツィア・ビエンナーレで版画部門の国際大賞を受ける。
1957年 ドイツのカイザー・ヴィルヘルム美術館で全版画作品の展覧会が開催され、ベルリン、ミュンヘン、ケルン、ハノーヴァー、ハンブルクに巡回される。
1960年 第2回東京国際ビエンナーレ展に出品。
ハーヴァード大学の陶壁画を制作。
1962年 パリの国立近代美術館でミロ大回顧展が開催される。
1966年 東京と京都でのミロ大回顧展のために初来日する。
1967年 ニューヨークのグッケンハイム美術館にミロの壁画が設置される。
1970年 ニューヨークのピエール・マティス画廊で彫刻作品の個展を開催。
1973年 サン・ポール・ド・ヴァンスのマーグ財団で彫刻、セラミック作品による個展が開催される。ニューヨーク近代美術館で「ニューヨーク近代美術館のミロ・コレクション」展が開催される。
1975年 バルセロナのモンジュイック公園内にホセ・ルイス・セルト設計によるジョアン・ミロ財団-現代美術研究センターがオープンする。
1979年 マーグ財団で絵画、彫刻、素描、水彩による回顧展開催。
1982年 テキサス、ヒューストン美術館で「アメリカにおけるミロ」展が開催される。
1983年 バルセロナのミロ財団で1920年代の絵画による「ジョアン・ミロ:Anys20」展が開催される。
12月25日、パルマ・デ・マジョルカの自宅で逝去。