浜口陽三
浜口陽三 版画作品販売
浜口陽三、人気のさくらんぼや蝶などの銅版画(メゾチント)の版画作品を販売しております。
販売サイト掲載の作品は画廊でご覧いただけます。
漆黒に浮かび上がる色彩の光
黒々とした闇を彩る小さな輝き……赤や橙、青や紫の蝶、さくらんぼなど果物や、身近な静物をモチーフにした作品の数々は、シンプルな構図の中で奥深い情感をたたえ、その静謐な空間は、世界中のファンを魅了しています。
現代社会の喧騒から離れ、漆黒の深遠なる幻想世界へ
中央公論美術出版刊のカタログレゾネ
生前に作ったオリジナル銅版画をご紹介しています。
No.178-4に掲載(22のさくらんぼ:bird by snow and stir by still)
1909年、ヤマサ醤油株式会社の10代目社長、濱口儀兵衛の三男として和歌山に生まれます。
東京美術学校を中退してフランスに渡り、1955年には最初のカラーメゾチント「西瓜」を制作。
1957年にはサンパウロ・ビエンナーレの日本代表に選ばれ、日本人として初めて版画対象を受章。数々の国際的な賞を受賞し、作品集の刊行や、亡くなる二年前には、東京にミュゼ浜口陽三が開館するなど、日本のみならず、世界的にその地位を確立し、20世紀を代表する銅版画家となりました。
東京美術学校を中退してフランスに渡り、1955年には最初のカラーメゾチント「西瓜」を制作。
1957年にはサンパウロ・ビエンナーレの日本代表に選ばれ、日本人として初めて版画対象を受章。数々の国際的な賞を受賞し、作品集の刊行や、亡くなる二年前には、東京にミュゼ浜口陽三が開館するなど、日本のみならず、世界的にその地位を確立し、20世紀を代表する銅版画家となりました。
浜口陽三の生涯
銅版画家となるまでの道のり
銅版画家となるまでの道のり
1909年、代々続くヤマサ醤油の創業家に生まれた浜口陽三。
三男であった浜口は家業の道には進まず、東京美術学校彫刻科で学びます。
21歳のときに東京美術学校を中退し、フランス・パリへと渡ると、油彩を中心に制作を続けながら、様々な表現を模索しました。
29歳の頃はじめて銅版画作品を制作するも、第二次世界大戦により、帰国を余儀なくされます。
その後、浜口が本格的に銅版画を学んだのは、戦後、40歳を過ぎてからでした。
のちに妻となる南桂子と出会ったのも、この頃と言われています。
日本でいくつかの展示会を開催したのち、1953年には再びパリへ渡り、 銅版画制作を活発化させていきます。
三男であった浜口は家業の道には進まず、東京美術学校彫刻科で学びます。
21歳のときに東京美術学校を中退し、フランス・パリへと渡ると、油彩を中心に制作を続けながら、様々な表現を模索しました。
29歳の頃はじめて銅版画作品を制作するも、第二次世界大戦により、帰国を余儀なくされます。
その後、浜口が本格的に銅版画を学んだのは、戦後、40歳を過ぎてからでした。
のちに妻となる南桂子と出会ったのも、この頃と言われています。
日本でいくつかの展示会を開催したのち、1953年には再びパリへ渡り、 銅版画制作を活発化させていきます。
1909年 |
和歌山県に生まれる。 |
---|---|
1915年 |
千葉県銚子市に移住 |
1930年 |
梅原龍三郎の助言により東京美術学校を中退、渡仏 |
1937年 |
最初の銅版画制作「猫」 |
1940年 |
第2次世界大戦のため帰国 |
1951年 |
東京・上目黒にアトリエを新築。銀座にて浜口陽三展を開催 |
1953年 |
銀座にて浜口陽三銅版画展を開催。再び渡仏、パリに定住 |
1954年 |
現代日本美術展で受賞「スペイン風油入れ」「ジプシー」この年、サロン・ドートンヌに銅版画を出品。会員となる。「魚と果実」をフランス政府とパリ市が購入。 |
カラーメゾチントの開拓者として
カラーメゾチントの開拓者として
浜口が注力した銅版画とは、当時廃れてほとんど使われていなかったメゾチントという技法でした。
メゾチントは、耐刷性に弱く印刷できる枚数が少ないですが、“黒の技法”と呼ばれ、美しいモノクロームの濃淡を表現できる技法です。
浜口は、同じくフランスに渡った画家長谷川潔に並んで、メゾチントの復興に寄与しました。
さらに、浜口が目指したのは、メゾチントによるカラーでの表現でした。
赤、青、黄、黒の4色の版を作り、それを刷り重ねる方法で、カラーメゾチントの技法を開拓します。
独自で開拓したこの技法で、漆黒の中に浮かぶ赤いさくらんぼや青い蝶を、幻想的に表現した浜口。
彼のカラーメゾチントの作品は、様々な国際美術展にて受賞し、世界でも高い評価を得ていきます。
メゾチントは、耐刷性に弱く印刷できる枚数が少ないですが、“黒の技法”と呼ばれ、美しいモノクロームの濃淡を表現できる技法です。
浜口は、同じくフランスに渡った画家長谷川潔に並んで、メゾチントの復興に寄与しました。
さらに、浜口が目指したのは、メゾチントによるカラーでの表現でした。
赤、青、黄、黒の4色の版を作り、それを刷り重ねる方法で、カラーメゾチントの技法を開拓します。
独自で開拓したこの技法で、漆黒の中に浮かぶ赤いさくらんぼや青い蝶を、幻想的に表現した浜口。
彼のカラーメゾチントの作品は、様々な国際美術展にて受賞し、世界でも高い評価を得ていきます。
1955年 |
最初の四色カラーメゾチントを制作「西瓜」 |
---|---|
1957年 |
第1回東京国際版画ビエンナーレで東京国立近代美術館賞を受賞「水差しとぶどうとレモン」「青いガラス」。サンパウロ・ビエンナーレの日本代表に選ばれ、日本人として初めて版画大賞を受賞する。 |
1961年 |
リュブリアナ国際版画展(ユーゴスラビア)で受賞 |
1962年 |
浜口陽三作品集が美術出版社から刊行される。 |
アメリカへの移住、そして日本へ
アメリカへの移住、そして日本へ
1981年、浜口は長く住み慣れたパリを後にし、新天地サンフランシスコへと移住します。
そこから約15年間、精力的にカラーメゾチントの制作を行いました。
そして晩年、87歳のときに日本に帰国。
亡くなる2年前には、これまで制作した作品の数々が収められた「ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション」も東京・日本橋に開館するなど、20世紀を代表する銅版画家としての地位を確立しました。
そこから約15年間、精力的にカラーメゾチントの制作を行いました。
そして晩年、87歳のときに日本に帰国。
亡くなる2年前には、これまで制作した作品の数々が収められた「ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション」も東京・日本橋に開館するなど、20世紀を代表する銅版画家としての地位を確立しました。
浜口陽三のご購入をご検討の方
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お電話、メールでもお気軽にお問い合わせください。
TEL:03-3561-1152(平日土/10:00~18:00)
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翠波画廊では、浜口陽三作品の買取も行っております。浜口陽三作品の売却をお考えの方は、ご相談ください。買取査定は無料です。メール、電話などお気軽にお問い合わせください。
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経験豊富な
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約束
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ご購入後の作品や額のトラブル、下取りなども
お気軽にご相談ください。
浜口陽三略歴
1909年 | 和歌山県に生まれる。 |
---|---|
1915年 | 千葉県銚子市に移住 |
1930年 | 梅原龍三郎の助言により東京美術学校を中退、渡仏 |
1937年 | 最初の銅版画制作「猫」 |
1940年 | 第2次世界大戦のため帰国 |
1951年 | 東京・上目黒にアトリエを新築。銀座にて浜口陽三展を開催 |
1953年 | 銀座にて浜口陽三銅版画展を開催。再び渡仏、パリに定住 |
1954年 | 現代日本美術展で受賞「スペイン風油入れ」「ジプシー」この年、サロン・ドートンヌに銅版画を出品。会員となる。「魚と果実」をフランス政府とパリ市が購入。 |
1955年 | 最初の四色カラーメゾチントを制作「西瓜」 |
1957年 | 第1回東京国際版画ビエンナーレで東京国立近代美術館賞を受賞「水差しとぶどうとレモン」「青いガラス」。サンパウロ・ビエンナーレの日本代表に選ばれ、日本人として初めて版画大賞を受賞する。 |
1961年 | リュブリアナ国際版画展(ユーゴスラビア)で受賞 |
1962年 | 浜口陽三作品集が美術出版社から刊行される。 |
1972年 | 第4回クラコウ国際版画 |
1981年 | パリからサンフランシスコに移住 |
1982年 | 北カリフォルニア版画大賞展でグランプリ受賞「西瓜」 |
1984年 | サラエボ冬季オリンピック大会でオリンピック記念ポスターに「さくらんぼと青い鉢」が採用される |
1996年 | 帰国 |
1998年 | 東京にミュゼ浜口陽三が開館 |
2000年 | 12月25日、逝去 |