1893年 |
ジョアン・ミロ、4月20日スペインのバルセロナに生まれる。 |
1900年 |
バルセロナの小学校に入学。そのかたわら、教師からデッサンを習う。少年時代は夏をコルヌデリャとマジョルカ島で過ごす。 |
1907年 |
商業学校に入学。同時にラ・ロンハの美術学校に通い、ムデスト・ウルヘイとジュゼップ・パスコの指導を受ける。 |
1910年 |
両親の希望により、ダルマウ・オリベス商会の簿記係として就職するが、環境に適応できず、神経衰弱を患う。 |
1912年 |
ガリ美術学校に入学。30年後に陶芸を教えてくれることになるジュゼップ・ロレンス・アルティガスや画商のE.C.リカルトと親交を結ぶ。 |
1915年 |
ガリ美術学校を卒業。 生涯の友となるジョアン・プラッツやJ.F.ラフォルスと友情を結ぶ。 サン・ペドロ街にリカルトと共同のアトリエを借りる。 |
1916年 |
バルセロナの画商、ダルマウに出会う。 フランスの詩やアヴァン・ギャルドの雑誌を読む。 |
1917年 |
ダルマウを通じてダダの雑誌『391』を主宰していたピカビアと出会う。 |
1918年 |
ダルマウ画廊で最初の個展を開催。 アグルパシオ・クールベ(クールベの仲間たち)を創設する。 |
1919年 |
ジョアン・ミロ、初めてパリを訪れる。 ピカソに会う。 |
1920年 |
春までパリに住む。以後冬をパリで夏をモンロチで過ごすようになる。ルベルディ、トリスタン・ツァラ、マックス・ジャコブらと出会う。ダダの運動に参加する。 |
1921年 |
ラ・リコルヌ画廊でダルマウの企画による最初の個展を開催、この時のカタログの序文をモーリス・レイナルが執筆する。 |
1922年 |
ブロメ通りのアトリエで制作。 アンドレ・マッソン、ジョルジュ・ランブール、アントナン・アルトー、アルマン・サラクロー、ミシェル・レリス、ロラン・テュアルらと交友。 |
1924年 |
《耕地》、《カタロニア風景》が完成。 ポール・エリュアール、アンドレ・ブルトン、ルイ・アラゴンらに出会う。 この年、シュルレアリスム第1宣言が発表される。 |
1925年 |
パリ、ピエール画廊で最初の個展を開催する。カタログの序文はバンジャマン・ペレ。また、同画廊で開かれた《シュルレアリスム》展に参加。 |
1926年 |
ロシア・バレエ団による《ロミオとジュリエット》のための舞台装置をマックス・エルンストとともに手がける。 7月、父が死去。パリを発ち、夏をモンロチで過ごす。 |
1927年 |
エルンスト、アルプ、ボナール、マグリットらの住むモンマルトルのトゥルーラック通りにアトリエを移す。 |
1929年 |
パルマ・デ・マジョルカでピラール・ジュンコサと結婚。 パリ、フランソワ・ムートン街3番地に新居を構える。 空想的肖像画《プロシアの女王ルイーズ》《ラ・フォルナリーナ》を描く。 |
1932年 |
レオニート・マッサンヌ振付のロシア・バレエ『子供の遊び』のための緞帳、衣装、舞台装置、舞台装飾をデザインする。 ニューヨークのピエール・マティス画廊で最初の個展を開催。 |
1933年 |
パリ、ジョルジュ・ベルネーム画廊で個展を開催。 ジョルジュ・ユニエの『幼年期』のために最初のエッチングによる版画作品を制作。 カンディンスキーに出会う。 |
1934年 |
チューリッヒのクンストハウスで個展。 パステルやサンドペーパーを使った大作に取り組む。 タピスリーの下絵『蝸牛、女、花、星』を制作。 |
1935年 |
カナリー諸島のテネリフェ島で開かれた「シュルレアリスム」展に出品。 |
1936年 |
パリの印象派美術館で開催された「現代スペイン」展に出品。パリ万国博覧会にスペイン館のための壁画《刈り入れ人》を制作。 |
1938年 |
マルクーシのアトリエでロジェ・ラクリエール、スタンリー・ヘイターらと共にエッチングとドライポイントを学ぶ。 |
1940年 |
この頃、ジョルジュ・ブラックと親交を結ぶ。 グアッシュによる《星座》の連作に着手。 |
1941年 |
《星座》の連作を完成する。 ニューヨーク近代美術館において初の大回廊展が開催される |
1944年 |
5月、母が死去。 ローレンス・アルティガスの協力を得て、最初のセラミック作品を制作。 |
1946年 |
ボストンで開催された「4人のスペイン人」展にダリ、ピカソ、グリスと共に出品する。 |
1949年 |
ベルン・クンストハレで回廊展 |
1950年 |
パリのマーグ画廊で彫刻、オブジェ、版画による個展を開催。 |
1951年 |
ニューヨークのピエール・マティス画廊で個展を開催。 ヒューストンのコンテンポラリー・アーツ・アソシエーションで「コールダー=ミロ」展が開催される。 |
1953年 |
パリのマーグ画廊で個展を開催。 ニューヨークのピエール・マティス画廊で個展が開催される。 アルティガスと共同でセラミック作品の制作に入る。(1953年から56年にかけてバルセロナのガリファで386枚の陶板を制作する。) |
1954年 |
ドイツのカイザー・ヴィルヘルム美術館で回顧展が開催され、シュトゥットガルトとベルリンに巡回される 第27回ヴェネツィア・ビエンナーレで版画部門の国際大賞を受ける。 |
1957年 |
ドイツのカイザー・ヴィルヘルム美術館で全版画作品の展覧会が開催され、ベルリン、ミュンヘン、ケルン、ハノーヴァー、ハンブルクに巡回される。 |
1938年 |
「オーロラの指輪」
「オーロラの指輪」銅版画 60部
ルネ・クレヴェルによる「オーロラの指輪」のために制作された銅版画の挿画本。星や人物、鳥などが鮮やかな色と共に描かれている。
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1960年 |
第2回東京国際ビエンナーレ展に出品。 ハーヴァード大学の陶壁画を制作。 |
1962年 |
パリの国立近代美術館でミロ大回顧展が開催される。 |
1966年 |
東京と京都でのミロ大回顧展のために初来日する。 |
1966年 |
「ユビュ王」
「ユビュ王」リトグラフ(石版画) 205部
フランスの劇作家・詩人であるアルフレッド・ジャリの戯曲「ユビュ王」に添えられたリトグラフの連作。大胆な構図と色彩で描かれている。戯曲「ユビュ王」はミロ以前にも、ルオーやピカソにも画題として取り上げられている。
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1967年 |
ニューヨークのグッケンハイム美術館にミロの壁画が設置される。 |
1970年 |
ニューヨークのピエール・マティス画廊で彫刻作品の個展を開催。 |
1971年 |
「黄金の羽根を持つトカゲ」
「黄金の羽根を持つトカゲ」リトグラフ(石版画)
自作の詩に絵を付けた詩画集。同じ画題で1967年にもリトグラフが制作されたが、色刷りが思わしくなかったため、廃版、1971年に改めて作り直された。
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1973年 |
サン・ポール・ド・ヴァンスのマーグ財団で彫刻、セラミック作品による個展が開催される。 ニューヨーク近代美術館で「ニューヨーク近代美術館のミロ・コレクション」展が開催される。 |
1975年 |
バルセロナのモンジュイック公園内にホセ・ルイス・セルト設計によるジョアン・ミロ財団- 現代美術研究センターがオープンする。 |
1979年 |
マーグ財団で絵画、彫刻、素描、水彩による回顧展開催。
「カエル」1978年 リトグラフ
ミロ85歳のリトグラフ。小品ながらも、ユーモアセンスと芸術性に溢れたミロ円熟期の作品。直筆サイン入り。 |
1982年 |
テキサス、ヒューストン美術館で「アメリカにおけるミロ」展が開催される。 |
1983年 |
バルセロナのミロ財団で1920年代の絵画による「ジョアン・ミロ:Anys20」展が開催される。 12月25日、パルマ・デ・マジョルカの自宅で逝去。 |
1985年 |
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