ジャン・コクトー
ジャン・コクトー(JEAN COCTEAU) 絵画作品販売
ジャン・コクトー、パステル、素描、リトグラフ等のオリジナル版画を販売しております。
販売サイト掲載の作品は画廊でご覧いただけます。
ジャン・コクトーの作品一覧
43件中
1-20件
ジャン・コクトーの魅力
詩のように劇的な芸術家ジャン・コクトー
1889-1963年
ジャン・コクトー作品を数多く取り揃え、展示販売しています
詩人であり、小説、評論、映画、舞台演出、陶芸、彫刻など多くの分野で才能を発揮したジャン・コクトーは、絵画にも優れ、油彩や素描、パステルや版画など、その才気煥発な線と色使いは多くの人を魅了し、今なお世界中で熱烈な愛好家に支持されています。そのため翠波画廊では多くのお客様にコクトーの作品をご紹介することができるよう、積極的に仕入れ、販売しています。
希少なパステルやデッサン、オリジナル版画など豊富に
ジャン・コクトー絵画販売サイトでは、パステル、デッサン、オリジナル版画まで幅広く取り揃え販売しております。
絵画販売サイトに掲載されている絵画は、翠波画廊にご来廊いただければ、現品をご覧いただけます。
鉛筆・紙
「頭を低く下げるスフィンクス」
貴重な鉛筆のデッサンです。ジャン・コクトー独特の世界観をお楽しみください。アニー・ゲドラス証明書付き。
リトグラフ
「雄牛:クレタ島の思い出」
1965年 37.5×28.2cm
「雄牛」シリーズからの一枚。様々な闘牛士が描かれている中、女性が目を惹く作品です。
「詩人は賞賛など求めてはいない。信じてもらいたいだけだ」
コクトーは、青年時代から社交界に出入りしていた才人で、ピカソやモジリアーニ、藤田嗣治など、20世紀初頭に活躍した芸術家たちと交流。その、レオナルド・ダ・ヴィンチを思わせるほどの万能ともいえる才能を早くから開花させました。
あらゆる分野に精通していたコクトーの芸術をはったりと呼ぶ人もいたようですが、彼の創作物に明確な秩序や筋道、理屈などが通用しないことが所以かもしれません。しかしながら、観る人を、体感する人を魅了するのは、そこにコクトーの詩的な神秘性が体現されているからなのでしょう。彼の人生、そして芸術は詩のように劇的であり、私たちは、ただ彼の作品から強烈な美のエネルギーを甘受するばかりなのです。
ジャン・コクトーの生涯
1889年 | パリ郊外に生まれる。父ジョルジュには絵を描く趣味があった。 |
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1898年 | 父ジョルジュがピストル自殺。中学校時代、図工の成績はよかった。 同級生のピエール・ダルジュロスは小説『恐るべき子供たち』のダルジュロスのモデルともいわれる。高校生時代には、学業には力を入れず、プルーストらと出会って文学に没頭するものの、大学受験に失敗し、進学を断念する。 |
1909年 | 自費にて最初の詩集「アラディンのランプ」を発表する。 ディアギレフのバレエ団を通じて、シャネルをはじめ多くの人と出会う。 |
1910年 | ストラヴィンスキー、ピカソ、パヴァロヴァ、ロダンに出会う。 |
1914年 | ブラック、ドラン、グリス、モジリアーニとの繋がりが形成される。 |
1917年 | バレエ「パラード」をサティ、ピカソらと共同制作。 |
1918年 | のちに六人組と呼ばれるプーランクらの作曲家を集めたコンサートを開く。 |
1909年 | 自費にて最初の詩集「アラディンのランプ」を発表する。 ディアギレフのバレエ団を通じて、シャネルをはじめ多くの人と出会う。 |
1910年 | ストラヴィンスキー、ピカソ、パヴァロヴァ、ロダンに出会う。 |
1914年 | ブラック、ドラン、グリス、モジリアーニとの繋がりが形成される。 |
1917年 | バレエ「パラード」をサティ、ピカソらと共同制作。 |
1918年 | のちに六人組と呼ばれるプーランクらの作曲家を集めたコンサートを開く。 |
1925年 | 素描の展覧会が初めてブリュッセルで開催される。 |
1926年 | パリで開かれた「造形の詩」展で、さまざまな美術形式を試みる。 |
1929年 | 阿片の療養の中で小説『恐るべき子供たち』を執筆。 |
1930年 | サン=クルーでの解毒治療の間に制作された素描をおさめた「阿片」出版。 映画『詩人の血』を撮影。ヌーヴェル・バーグの先駆けとなる。以後「美女と野獣」、「双頭の鷲」、「オルフェ」などを撮影。 |
1937年 | ジャン・マレーと出会う。 |
1947年 | エドゥアール・デルミット(後にコクトーの養子となる)に出会う。 |
1949年 | レジオン・ドヌール勲章を与えられる。 |
1950年 | 画家としての制作を始める。サント・ソスピール荘の壁画を描く。 |
1953年 | 最初の心臓発作に襲われる。 |
1955年 | アカデミー・フランセーズ、ベルギー王立アカデミーの会員に選出される栄誉に輝く。 |
1956年 | オックスフォード大学より名誉博士号を贈られる。 ヴィルフランシュ・シュル・メールのサン・ピエール礼拝堂の壁画を制作。 |
1957年 | アメリカの国立美術文学研究所名誉会員に選ばれる。マントン市庁舎の婚礼の間の装飾を依頼される。 58年にはパリのプラネタリウムに壁画を、59年にはミィ・ラ・フォレの礼拝堂の修復と装飾を行い、ロンドンの礼拝堂の壁画も制作。 |
1959年 |
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1959年 |
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1963年 | ミィ・ラ・フォレで死去。病床で、親友でもあったエディット・ピアフの死を知り、その4時間後に亡くなった。 |
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【ジャン・コクトー 関連コラム】
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ジャン・コクトー略歴
1889年 | パリ郊外、メゾン・ラフィットに生まれる |
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1910年 | ストラヴィンスキー、ピカソ、パヴァロヴァ、ロダンに出会う |
1914年 | ブラック、ドラン、グリス、モジリアーニとのつながりが形成される |
1917年 | バレエ「パラード」をサティ、ピカソらと共同製作 |
1919年 | 詩集「喜望峰」出版 |
1925年 | 素描の展覧会が初めてブリュッセルで開催される |
1926年 | 劇「オルフェ」初演 |
1929年 | 阿片の療養の中で小説『恐るべき子供たち』を執筆 |
1930年 | サン=クルーでの解毒治療の間に制作された素描をおさめた「阿片」出版 映画『詩人の血』を撮影。ヌーヴェル・バーグの先駆となる |
1937年 | ジャン・マレーと出会う |
1947年 | エドゥアール・デルミットに出会う。彼は後にコクトーの養子となる |
1949年 | レジオン・ドヌール勲章を授与される |
1950年 | 画家としての制作を始める。サント・ソスピール荘の壁画を描く |
1956年 | ヴィルフランシュ・シュル・メールのサン・ピエール礼拝堂の壁画を制作 |
1959年 | ミィ・ラ・フォレの礼拝堂の修復と装飾を行う |
1962年 | 東京で大規模なコクトー展が開催される |
1963年 | ミィ・ラ・フォレで死去。病床で、親友でもあったエディット・ピアフの死を知り、その4時間後に亡くなった |