モーリス・ユトリロと、その母シュザンヌ・ヴァラドン
~育児放棄が世代を超えて繰り返された
モーリス・ユトリロが28歳の年に描いた《モンマルトルのトゥレルのカフェ》は、1990年にパリのオークションにて730万フラン(約2億円)で落札されました。ユトリロ作品のオークション・レコードです。
この作品、パリのどんよりと曇った空の下に描かれる白い建物の群れは、いずれも静寂に包まれています。季節が冬だからかもしれません。あるいは街路に人影がまったくないせいかもしれません。
ユトリロの作品の多くは、このように、ただパリの街並みを描いた風景画です。
しかし、そこに込められたユトリロの思いが、見る人の感情を揺り動かします。
この作品が描かれた1910~1914年頃を、ユトリロの「白の時代」と呼びます。
当時、パリの美術界ではピカソとブラックのキュビスムが流行していましたが、ユトリロは流行を無視して、ただひとりパリの街を描き続けました。
ユトリロも、その母ヴァラドンも、私生児だった
ユトリロはモンマルトルで生まれて、モンマルトルで育ち、モンマルトルで亡くなった生粋のパリジャンです。
キュビスムやシュルレアリスムなど、さまざまな芸術運動の時代を生きたにもかかわらず、ユトリロはそれらと何の関わりももたず、生涯を通じてただパリの風景だけを描き続けました。
そして、若くして成功を収めたのに、アルコール依存症と精神病で何度も病院に入院し、苦悩の人生を送りました。 ユトリロの人生は、父親不明の私生児として生まれたところから始まります。
彼の母親であったシュザンヌ・ヴァラドンもまた私生児で、貧しい母子家庭で育ちました。
シュザンヌは5歳のときに母マドレーヌ(ユトリロの祖母)とともにパリへ移住しますが、ろくに教育を受けられないまま、10代の頃から働いて家計を助けました。
その仕事の一つが絵画モデルです。
シュザンヌがモデルを務めた絵画のうちでも最も有名な1枚が、ルノワール《ブージヴァルのダンス》です。
この作品が描かれた1883年、シュザンヌは18歳で、年末に私生児としてモーリス・ユトリロを生みます。
当時、シュザンヌを頻繁にモデルとしていたルノワールが父親ではないかとの噂が流れましたが、シュザンヌもルノワールも明確に否定しています。
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モーリス・ヴァラドンがモーリス・ユトリロになった理由
シュザンヌが父親の名前を明かさなかったので、子どもは母親の姓でモーリス・ヴァラドンと呼ばれました。
モーリスがユトリロ姓になったのは、彼が7歳のときにシュザンヌの友人ミゲル・ユトリロが、自分の息子として認知してくれたからです。しかし彼は本当の父親ではないと言われています。
モーリス・ユトリロの書類上の父親となったミゲル・ユトリロは、スペイン人ジャーナリストでした。
このミゲル・ユトリロは、モンマルトルのキャバレー「黒猫(シャノワール)」で影絵公演を行っていて、シュザンヌと知り合い、付き合うことになったのです。ミゲルはモーリスを可愛がり、自分の子とすることを承知しました。
ユトリロの本当の父親は今もなおわかっていません。
最も有力な説は、無名の画家モーリス・ボワシーだとするものです。もしそうだとしたら、ユトリロのアルコール依存症は父親譲りということになります。
しかし、シュザンヌは恋多き女で、なおかつ虚言癖もあったので、真実は藪の中です。ミゲル・ユトリロも認知こそしましたが、すぐにシュザンヌと別れてしまい、以降は一緒に暮らすことはありませんでした。
余談ですが、その後スペインに帰ったミゲル・ユトリロは、バルセロナで酒場「四匹の猫」の設立に加わります。これはパリの「黒猫(シャノワール)」を模したビヤホールで、芸術家の集まる場となりました。
このバルセロナの「四匹の猫」に出入りして芸術家たちの薫陶を受けたのが、10代後半のピカソでした。ピカソの初めての個展が開かれたのも「四匹の猫」です。
ピカソは「四匹の猫」を通してパリへの憧れを募らせ、1900年に初めてパリに出てくることになります。
シュザンヌ・ヴァラドンという魔性の女性
シュザンヌ・ヴァラドン《7歳の私の息子(モーリス・ユトリロ)》1891年
ユトリロの母シュザンヌは、単なる絵画モデルではありませんでした。
9歳の頃から絵を描くのが好きだったというシュザンヌは、絵画モデルをしながら絵の勉強もして、画家としても認められるようになりました。
シュザンヌが本格的に絵を描くきっかけとなったのは、絵画モデルをしていた時に、ドガがシュザンヌの才能に気づいて、絵の手ほどきをしたからだそうです。
シュザンヌをモデルとして使っていたロートレックやドガは、シュザンヌの画家としての才能を称賛しています。
しかし、画才はあっても、彼女は良き母親とは言えませんでした。
18歳で母になったシュザンヌの関心は芸術と恋愛にあって、子育てにはなかったからです。
祖母マドレーヌに育てられたユトリロは、寂しさから8歳で祖母を真似てアルコールをたしなむようになり、母の愛を求めて過ごすようになりました。
シュザンヌがようやくユトリロに目をかけるようになったのは、就学年齢になってからです。
シュザンヌは5歳の息子をお金のかかる私立学校に入れて、7歳くらいからしばしばデッサンの対象にしました。
しかし、普段のシュザンヌは恋人とともにアトリエにこもりきりで、母と息子のいる家にはめったに寄り付きませんでした。
ちなみに当時、シュザンヌの新しい恋人となったのは、音楽家のエリック・サティでした。
酒場「黒猫(シャノワール)」でピアニストをしていたサティは、ミゲル・ユトリロの友人となり、ミゲルを通じてシュザンヌと知り合うのです。
20世紀を代表する音楽家であるサティは、シュザンヌに熱烈に恋をしましたが、半年で振られてしまいました。
次回に続く>>
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