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ピカソの愛人10人の秘密!
画風の変化と女性関係の驚くべき関係とは?(前編)

20代のうちから評価されて、90代で亡くなったときには史上最も経済的に成功した画家と呼ばれたピカソ。
彼はその華々しい女性スキャンダルでもおおいに名を売りました。人気画家のピカソには多くの女性がなびくようです。
女好きで知られるピカソは、常に若い女性の愛人を手に入れることができました。
その生涯には、名前が知られているだけでも10人の恋人がいます。
ピカソの女性遍歴を、その作風の変遷に合わせて見ていきましょう。

1人目、古典主義の時代のオデット

ピカソ《科学と慈愛》1897年
Museu Picasso de Barcelona

1人目は、スペインで生まれたピカソが、初めてパリに出てきた1900年に雇ったモデルのオデットです。19歳のピカソとオデットはパリで同棲をしていたといいます。
当時のピカソの作風は古典主義のリアリズムでした。のちに子どもの落書きのような絵を描くようになったピカソですが、若い頃はデッサンの確かさに定評があり、純粋に画力で評価されていたのです。
ここに掲載した《科学と慈愛》はパリに来る前の作品で、マドリードの全国美術展で入賞したものです。

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2人目、青の時代のジェルメーヌ

ピカソ《人生》1903年
The Cleveland Museum of Art

ピカソと一緒にパリに出てきた友人の画家カサヘマスは、同じくモデルのジェルメーヌに恋をしました。しかし、すでに人妻だったジェルメーヌはカサヘマスに振り向かず、傷心のカサヘマスはジェルメーヌと無理心中しようとして失敗し、自殺してしまいます。1901年のことでした。
親友の死を悼んだピカソは、1903年に、画面全体が青に覆われた大作《人生》を描きます。この後、ピカソは悲しみの色である青を基調とした作品を作り続けるので、この時期を「青の時代」と呼びます。
《人生》の絵で左側に描かれている男女は、カサヘマスとジェルメーヌだと言われています。思いを遂げずに自死した親友を偲んでのものでしょうか。
しかし、《人生》の習作では、男はカサヘマスではなくピカソ自身が描かれています。よりそう女はジェルメーヌのままです。
そして、ピカソ研究者の中には、カサヘマスの死後に、ピカソとジェルメーヌが愛人関係になったと考えている人が少なくありません。そのことは、以降のピカソの絵のなかにたびたびジェルメーヌと思しき女性が現れることからも推測できます。
このジェルメーヌが2番目の恋人だとしたら、親友を死に追いやった相手を寝取ったことになりますから、ピカソの悩みも深くなったことでしょう。

3人目、薔薇色の時代のフェルナンド・オリヴィエ

ピカソ《パイプを持つ少年》」1905年
thisismedia

パリに出てきたピカソが住んだのは、セーヌ川右岸のモンマルトルと呼ばれる小高い丘の歓楽街でした。
モンマルトルには、ルノワールの描いた「ムーラン・ド・ラ・ギャレット(ギャレットの風車)」や、ポスト印象派のロートレックの描いた「ムーラン・ルージュ(赤い風車)」、そしてピカソの通い詰めた「シャ・ノワール(黒猫)」といったキャバレーがあります。また、かつて印象派のメンバーが集ったカフェ・ゲルボアもあり、芸術家の集まる街として知られていました。
1904年、22歳のピカソは、パリとバルセロナを行ったり来たりするのをやめて、モンマルトルの「バトー・ラヴォワール(洗濯船)」という名前の共同住宅に居を構えます。
ジェルメーヌも洗濯船に住みましたが、ピカソはここで、絵画モデルをしていたフェルナンド・オリヴィエと出会い、恋に落ちて同棲をはじめます。フェルナンドはジェルメーヌと同じく人妻でした。夫からDVを受けたためにパリへ逃げてきて、絵画モデルとして生計をたてていたのです。
フェルナンド・オリヴィエと暮らし始めたピカソは、陰鬱な青い絵画から抜け出して、暖かい色の絵を描くようになります。この頃のピカソを「薔薇色の時代」と呼びます。
当時の代表作として知られるのが《パイプを持つ少年》です。
この作品は、2004年のニューヨーク・サザビーズのオークションで、手数料込み約1億ドル(114億円)で落札され、当時の美術品オークションレコードを更新しました。

4人目、キュビスムの時代のエヴァ・グエル

ピカソ《マ・ジョリまたはギターを持つ女》1911-1912年

こののち、ピカソは盟友ブラックとともにキュビスム絵画を発明し、新進画家として一定の評価を得るようになります。経済的にも余裕のできたピカソは1909年、フェルナンドと共にボロアパートの洗濯船を出て、大きなアパート兼アトリエを借りました。
しかし、画家として成功への道を歩み始めたピカソは、私生活においてはフェルナンドへの愛情を失っていきます。
1911年、30歳のピカソは、パトロンであるレオとガートルードのスタイン兄妹の家で、4歳年下のエヴァ・グエルと出会います。エヴァもフェルナンドと同じく、夫と別居している人妻で、当初は彫刻家マルクーシの愛人としてピカソと出会いました。
ピカソとエヴァは惹かれあい、二人はフェルナンドとマルクーシには内緒でデートを重ねます。そして、ピカソは6年間の貧乏時代を共にしたフェルナンドと別れて、エヴァと共にモンパルナスに引っ越します。
ピカソとエヴァの蜜月は4年間続きましたが、1915年にエヴァが結核で亡くなったために終わりを告げます。二人の交際期間は、ピカソがキュビスムを突き詰めた時期にあたっていて、《マ・ジョリ(私の愛しい人)》という作品が、ギターを持つエヴァを描いたものだと言われています。

5人目、狭間の時代のガブリエル

芸術を追求するピカソにとって、病に倒れたエヴァは魅力的な存在ではなくなりました。死の直前のエヴァを病院において、ピカソはガブリエル(ガビー)という7歳年下の人妻と親しく付き合っていたことがわかっています。当時、ピカソは34歳、ガブリエルは27歳でした。
ジェルメーヌ、フェルナンド、エヴァと、人妻とばかり交際してきたピカソですが、いずれもすでに結婚生活は破綻していました。
しかし、ガブリエルの場合は夫と暮らしているため、れっきとした不倫になります。そのため彼らの恋愛は秘密にされ、1984年まで公表されることはありませんでした。
そのせいでしょうか、ガブリエルの肖像画といわれるものも残っていません。

後編に続く

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