マルク・シャガールとセルゲイ・プロコフィエフ
~ベラルーシとウクライナの芸術家
マルク・シャガールはどの国の画家かご存じですか?
生まれたときの国籍がロシアですから、ロシアの画家と思う人が多いでしょう。
後にフランスに移住してフランス国籍を取得したので、フランスの画家とも言えます。
民族的、宗教的にはユダヤ人で、作品にもユダヤの風習が反映されているので、当時は国を持たなかったユダヤの画家とすることもできるでしょう。
シャガールが愛した生まれ故郷のヴィーツェプスクが、現在はロシアではなくベラルーシの国土となっているので、ベラルーシの画家と考えることもできます。
また、ベラルーシの建国はシャガール死後の1990年なので、今はなきソビエト連邦の画家と言えるかもしれません。
20世紀前半は革命と激動の時代で、シャガールのような東欧の画家は政治に翻弄されて、住む国すら定まらなかったのです。
ベラルーシなどは21世紀の今も動乱のさなかにあり、2020年夏の大統領選後では選挙結果に抗議するデモが起きました。実はベラルーシはヨーロッパ最後の独裁国家と呼ばれていて、1994年から現職のルカシェンコ大統領が強権的な支配を続けているのです。
今回は、そんなシャガールのレコード・ジャケットの特集です。
シャガールお勧め作品
Nr. 1 D-dur Op. 19
1955 Columbia
ソビエト三巨匠と呼ばれた作曲家プロコフィエフ
クラシック音楽のレコード・ジャケットには、しばしば美術作品が使われます。
クラシック音楽の愛好家と美術作品の愛好家とが、重なることが多いからです。シャガールの作品がおそらく初めてレコード・ジャケットに登場したのは1955年、セルゲイ・プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番の録音盤においてです。
ドイツのコロムビア・レーベルから発売されたこのレコードは、ソ連のダヴィッド・オイストラフのヴァイオリンを主軸に、ユーゴスラビアのロヴロ・フォン・マタチッチがロンドン交響楽団を指揮した演奏を収録したものです。作曲者のセルゲイ・プロコフィエフは、ショスタコーヴィチやハチャトゥリアンと共にソビエト三巨匠と呼ばれた作曲家です。レコード発売当時はまだ死後2年しか経っていないにもかかわらず、ベートーベンやブラームスと並んで巨匠扱いされていることからも、その人気のほどがうかがえます。このレコードにシャガールの絵が起用されたのは、ソ連の作曲家にはソ連の画家が相応しいと考えられたからでしょう。
実際、演奏こそロンドン交響楽団ですが、ヴァイオリンのオイストラフ、指揮者のマタチッチともにソ連と関係が深い人選でした。しかし、現在の視点から見れば、プロコフィエフとオイストラフの出身地はウクライナですし、マタチッチはクロアチア、シャガールはベラルーシです。ソ連が力を持っていた時代をしのばせるレコードです。
1960 Epic
アメリカはヨーロッパから文化を輸入した
現代の作曲家として人気だったプロコフィエフと、現代の画家として人気だったシャガールの組み合わせは、その後のレコードでもよく使われました。1960年にアメリカのエピック・レーベルから発売されたプロコフィエフの交響曲第5番のレコードのジャケットも、シャガールの作品で飾られました。この交響曲は、第二次世界大戦時に、ドイツのソ連侵攻を知ったプロコフィエフが、祖国愛に突き動かされて作曲したもので、作品番号も100番という記念碑的なものです。
演奏はアメリカのオハイオ州のクリーブランド管弦楽団ですが、指揮者はハンガリー出身のジョージ・セルです。ジョージ・セルは、ハンガリー人の父とスロバキア人の母との間に、ユダヤ教徒としてハンガリーに生まれ、ドイツで音楽家としてのキャリアを積みました。ナチスの台頭に怖れを抱いてイギリスに移住しますが、アメリカへの演奏旅行中に戦争が起きたため、そのままアメリカに定住し、クリーブランド管弦楽団の常任指揮者となりました。当時のアメリカのクラシック音楽界は、ジョージ・セルのようなヨーロッパからの移住者によって支えられるところが大でした。
シャガールについてまわるロシアのイメージ
1973 World Record Club
1973年、オーストラリアで発売されたプロコフィエフのレコード・ジャケットにもシャガールの絵が使われました。こちらのレコードは、A面がハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲ニ短調で、B面がプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番となっていて、ソビエト三巨匠のうち2人の作曲家を1枚にまとめた作品集です。このような扱いを見ると、やはりシャガールはソ連の画家のイメージが強かったのでしょう。
実際にシャガールがソ連で生活したのは1917年の10月革命から1922年のソビエト連邦正式誕生までの6年間に過ぎず、1923年からは再びパリに戻り、1941年からは戦乱を避けるかたちでアメリカに亡命しています。戦後の1947年には再びフランスに戻って、以降1985年に死没するまでフランスで暮らしましたから、レコード発売時はフランス国籍を持つフランス人でしたが、異邦人のイメージは終生ついてまわりました。
一方、プロコフィエフは10月革命勃発時にすぐに亡命を考え、1918年に日本を経由してアメリカに移住します。さらに1923年にはフランスに居を構えてパリの作曲家として活躍しました。しかし1936年に45歳でソ連に帰国したため、現在ではソ連を代表する作曲家として遇されています。
シャガールとプロコフィエフは同世代ですが、ソ連における滞在は入れ違いが多く、足跡は重なりません。しかし、1920年代のエコール・ド・パリの時代にだけ、この二人のロシアの芸術家は異国の地で同じ空気を吸っていました。
1974 Candide
レコード・ジャケットで見る絵画
プロコフィエフとシャガールの組み合わせはその後も続きました。実態はどうあれ、ロシアを想起させるシャガールの絵は使い勝手が良かったのでしょう。
1974年にアメリカでリリースされたプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番と第2番のレコードもシャガールのジャケットになりました。
演奏はルクセンブルグ放送交響楽団で、ヴァイオリンはイタリア系アメリカ人のルッジェーロ・リッチ、指揮はフランス人のルイ・ド・フロマンです。
1974 Turnabout
同じく1974年に、別のプロコフィエフのレコードもアメリカでリリースされています。こちらはピアの協奏曲第2番と第5番で、演奏はシンシナティ交響楽団とウィーン国立歌劇場管弦楽団です。
シャガールの絵は、かつてクリーブランド管弦楽団演奏の交響曲第5番のレコード・ジャケットで使われたのと同じ≪窓から見たパリ≫(1913)でした。
1978 Turnabout
同じレコード会社からは、1978年にもプロコフィエフ&シャガールのレコードが発売されています。
曲目は交響曲第5番、演奏はフランス国立管弦楽団、指揮はジャン・マルティノンでした。
ジャケットに使用されたシャガールの絵は、1912年頃に描かれた≪ロシアとロバとその他のものたちへ≫です。
1910年から1915年までの最初のパリ滞在時に描かれた絵は、シャガール作品の中でも人気が高いものです。
1979 Supraphon
最後に紹介するのは、A面にプロコフィエフの交響曲第1番、B面にストラヴィンスキーのペトルーシュカが収録されたものです。
1979年にチェコスロヴァキアで発売されたもので、演奏はチェコ・フィルハーモニー管弦楽団、指揮者はズデニェク・コシュラーでした。
シャガールの絵は全体ではなく部分ですが、レコード・ジャケットは大きいので、筆触までよく見ることができます。
これらのレコードには特にプレミア価格がついていないので、シャガール好きの方は探してみるのもよいかもしれません。
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