セレブとして大人気だったアーティストとは?
~ダリの奇妙な絵画
SNSが大流行の現在、美術館やギャラリーでしばしば不幸な事件が起きています。
スマホで自撮りをしようとしてバランスを崩し、作品を倒して傷つけてしまうのです。2018年10月にもロシアの美術館で、観客が作品と額縁を損傷する事故が起きました。
傷ついた作品は、ゴヤの版画「ロス・カプリチョス」にダリが彩色をしたもの。他人の版画に色を付けて自らの作品とするのは奇妙なことですが、サルバドール・ダリならばそれもありと思わせてしまうユニークな画家です。
ダリとはどんな画家だったのか、改めて振り返ってみましょう。
ダリとロルカとブニュエルは友人同士だった?
1904年に生まれて1989年に84歳で亡くなったダリは、二度の大戦を含む20世紀の大半を、その身で経験しています。日本で言うなら明治から平成までを生きた画家です。
ダリが生まれたのはスペインのカタルーニャ州のフィゲラスです。スペインといえば、ピカソのように本名が長いことで有名ですが、ダリも本名はサルバドール・ドミンゴ・フェリペ・ハスィント・ダリ・ドメネク(Salvador Domingo Felipe Jacinto Dalí Doménech)と、そこそこの長さがあります。通常はただサルバドール・ダリと呼ばれています。
富裕な地元の名士の家に生まれたダリは、後年のイメージとは異なり大人しい子どもでした。
少年の頃から絵画が好きだったダリは、1921年、17歳で家を出てマドリードの王立美術アカデミーに入学し、学生館で集団生活を始めます。
この学生館で出会って友人になったのが、ガルシア・ロルカとルイス・ブニュエルです。後にロルカは詩人として、ブニュエルは映画監督として、画家ダリとともにスペインを代表する芸術家になります。
三人はただの同級生ではなく、親しい友人でした。特に同性愛の傾向があったロルカはダリに恋していたと言われています。その模様は、映画『天才画家ダリ 愛と激情の青春』に描かれました。
ダリの奥さんのガラは人妻だった?
当時、芸術の中心地はパリだったので、ダリも1927年にパリに行き、一足先にパリに来ていたブニュエルと共に映画『アンダルシアの犬』を製作します。この映画は、当時のパリの前衛芸術運動であるシュルレアリスムのグループから高く評価され、ダリとブニュエルはシュルレアリストに迎え入れられました。
シュルレアリスム運動のリーダーは、1924年に「シュルレアリスム宣言」を書いた詩人のアンドレ・ブルトンです。運動に参加した画家には、ダリの他にマックス・エルンスト、ルネ・マグリットなどがいます。ダリと同じスペイン出身の先輩画家であるピカソやミロも、シュルレアリスムには傾倒しました。当時の最先端の芸術運動だったからです。
シュルレアリストとの出会いは、ダリの人生に生涯の伴侶をもたらしました。1929年、詩人のポール・エリュアール夫妻がスペインのダリを訪問します。ダリはポールの妻ガラと強く惹かれあい、1934年にガラと正式に結婚することになります。ダリとガラは終生のパートナーになりました。
とはいえ、自由奔放なガラはダリと結婚後もセックスのパートナーは別に持っていたようで、ダリもそれを認めていたそうです。そもそもポールと結婚していた時から浮気は多かったようで、ポールもガラの遊びは黙認していました。ロルカとの関係にも表れていますが、ダリは性的にこじれたところがあったようで、後に「大自慰者」という絵も描いています。ちなみに、ダリとガラとの間に子供はありませんでした。
ダリはシュルレアリストから除名されていた?
一般的にはシュルレアリスムの画家として知られるダリですが、実は1938年にシュルレアリスト・グループを除名されています。ナチスやヒトラーに対して寛容なダリの思想を、グループの首領ブルトンが嫌ったからです。思想的に保守的なブルトンはファシズムも共産主義も同性愛も嫌っていました。
しかし、技術力が高く、情報が詰まっていて、パズルのような楽しみがあるダリの絵は人気があり、ダリは社交界でも引っ張りだこになりました。映画や演劇やファッションといった分野でもコラボレーションを行い、1936年には「タイム」誌の表紙にもなりました。当時のダリはまだ32歳――世間は若き天才にほしいままの賞賛を与えました。現在も使われるあのチュッパチャップスのロゴマークもダリが手掛けたものです。
そんなダリに対して、犬猿の仲になったブルトンは、名前のSalvador Dalíのアナグラム(並び替え)でAvida Dollarsのあだ名を与えます。Avida Dollars の音は、フランス語で「avide à dollars」、つまり「ドルを貪る」の意味になります。ダリが売れていることを「商業主義」だと揶揄したのです。
かつての仲間に何と言われようと、ダリは気にせず、セレブの生活を楽しみました。ちなみに、ダリ作品のオークションにおける最高落札記録は、2011年にサザビーズで競売にかけられた『ポール・エリュアールの肖像』で、2167万ドルになります。一過性の人気ではなく、死後も高く評価されているダリは、「商業」と「芸術」を両立させることのできた稀有な画家でした。
生前、ダリは数多くの著作を残しましたが、自伝風の書き物の多くはフィクションだと見なされています。ダリは、芸術家が芸能人として人気者になる時代を生きた画家でした。徹底して自己を演出するその姿勢には批判もありますが、時代に適応したという意味では、極めて現代的な芸術家だったと言えるでしょう。
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