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画家同士の友情はどれくらい厚いの?
~印象派のモネとルノワールは仲良し

美術史上に残る画家の友情といえば、誰と誰を思い浮かべますか?多摩美術大学の学生によって作られた女性向け恋愛アドベンチャーゲーム『恋の筆触分割』では、攻略対象のイケメン印象派画家たちが、男同士の友人ペアで登場してきます。1組目は、ブルジョア同士で気が合ったマネとドガ。2組目は、印象派の代表ともいえるモネとルノワール。3組目は、2カ月間とはいえアルルで同棲生活を送ったゴッホとゴーギャン。実際の彼らは、本当にそんなに仲が良かったのでしょうか?

 

印象派は、画家という以外は生まれも年齢も異なっていました。しかし、たとえば高級官僚の家に生まれたマネと、銀行家の家に生まれたドガは、生活の心配のない富裕層であることが共通していて気が合いました。一方、商人の家に生まれたモネと、下町の職人の7人兄弟の1人として生まれたルノワールは、庶民同士として気が合いました。とはいえ、ルノワールの家庭環境は、モネの家よりも経済的には厳しいものでした。生活に追われると絵を描くような余裕は出てこないため、当時の画家は裕福な家庭に育った人が多かったのですが、ルノワールだけは違いました。生活のために13歳から磁器の絵付け職人として働き始めたルノワールは、工場の機械化で職を失い、好きな絵の道で生計をたてることを決意します。そうして入学した画塾で出会ったのが、同い年のモネでした。

 

モネ「自画像」1886年

ルノワール「自画像」1875年

 

お互いに経済的に困窮していたモネとルノワールは、同じく画塾の同級生だったバジールのアトリエに住まわせてもらうことになります。金持ちの家に生まれたバジールは、気前良く、自分の借りたアトリエを仲間に開放しました。あまり知られていませんが、モネとルノワールはバジールのアトリエで、一緒に暮らしていたことがあったのです。

 

当時、モネは後に結婚することになるカミーユとの間に長男ジャンを儲けていました。ルノワールもまた、恋人のリーズとの間に娘ジャンヌができています。しかしモネとは異なり、ルノワールはリーズとは結婚しませんでした。リーズはジャンヌを連れて、別の男性と結婚します。その後はほとんど会うことのなかったルノワールとジャンヌですが、晩年のルノワールはジャンヌのために年金を設けています。気にかけてはいたのでしょう。

 

モネとルノワールの男同士の友情は強いものでした。1869年、パリ近郊のセーヌ河湖畔の観光地ラ・グルヌイエールで、二人がキャンバスを並べて描いたと思わしき絵が残っています。構図から考えるに、モネが左側、ルノワールが右側に座っていたのでしょう。後の業績からモネは風景画家、ルノワールは人物画家といえますが、その特徴は当時から現れています。

 

モネ「ラ・グルヌイエール」1869年

ルノワール「ラ・グルヌイエール」1869年

 

モネがアルジャントゥイユに居を構えてパリを離れた後も、ルノワールはしばしば遊びに行って、一緒に絵を描きました。このときルノワールは、「自宅の庭を描くモネ」の絵を描いています。本当に仲良しですね。

 

モネ「アルジャントゥイユのモネの庭」1873年

ルノワール「アルジャントゥイユの庭で絵を描くモネ」1873年

 

中には構図がまったく同じ絵もあります。印象派として同じスタイルを追求していた二人ですから、この頃は画風もよく似ていました。

 

モネ「アルジャントゥイユのボート漕ぎ」1874年

ルノワール「アルジャントゥイユのセーヌ河」1874年

 

モネはほとんど人物画を残していませんが、ルノワールは生活のためもあって、数多くの肖像画を描きました。その中には親友モネを描いたものがたくさんあります。どれだけ一緒に時間を過ごしていたのかよくわかります。

 

ルノワール「本を読むモネ」1872年

ルノワール「新聞を読むモネ」1872年

ルノワール「絵を描くモネ」1875年

 

ルノワールはモネだけでなく、モネの妻子まで絵に残しています。

ルノワール「モネ夫人と子ども」1874年

 

このときモネの家にはマネも遊びに来ていて、同じようにモネの妻子を描いています。

マネ「庭のモネ一家」1874年

 

ルノワールの絵を見たマネは、後でモネに「君の友達は才能がないから、早めに別の道を見つけるほうがいい」と言ったそうです。当時マネは42歳の成熟期、ルノワールは33歳のひよっこでした。たしかに構図もデッサンもマネのほうが上手かもしれませんが、大きなお世話ですね。

 

ルノワール自身の結婚は遅く、1890年、49歳のときでした。とはいえ、その相手のアリーヌとは、その10年前から交際を続けていました。プレイボーイだったルノワールは、ユトリロの母親で絵のモデルをしていたシュザンヌ・ヴァラドンとも付き合いがありました。私生児であるユトリロの父親はルノワールではないかと言われたこともあります。当時、描いた連作『都会のダンス』、『田舎のダンス』に描かれた女性は、それぞれシュザンヌとアリーヌとをモデルにしています。

 

ルノワール「都会のダンス」1883年(シュザンヌがモデル)

ルノワール「田舎のダンス」1883年(アリーヌがモデル)

 

都会的でスマートなシュザンヌではなく、田舎育ちでぽっちゃりのアリーヌを選んだのは、下町育ちのルノワールの好みに合っていたからです。晩年、ルノワールは数多くの裸婦画を描いていますが、それらはいずれも豊満な体型をした女性をモデルにしていました。

 

ルノワール「横たわる裸婦」1906年

ルノワールは1919年、78歳で亡くなりました。同い年のモネは1926年、86歳まで生き長らえます。晩年はお互いに身体も衰えて会うことも少なくなっていましたが、ルノワールの訃報を聞いたモネは「とても辛い」と書き記しています。画家同士の友情は多いですが、モネとルノワールのようにどちらも巨匠になった例は珍しいものです。

 


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