最も“野獣”から遠い野獣派
~アルベール・マルケの優しくて穏やかな絵画
決して派手ではないけれど、見た人を立ち止まらせる絵があります。一見、何の変哲もない風景画に見えますが、景色の本質をとらえた上手さがあるからです。 作家としても知られるマルケの妻、マルセル・マルケは夫について以下のように書いています。
アルベール・マルケが生まれたのは1875年で、マティスより6年、ルオーより4年遅くなります。生誕の地は、ワインで有名なボルドーの田舎町でしたが、15歳の時に母とともにパリに出てきます。なぜならば、生まれつき足と目が悪く、学校の成績も悪かったマルケには田舎での生活は難しいだろうと母親が判断したからです。 マティスは、本当は国立美術学校に入りかったのですが、試験に落ちたために入学が叶いませんでした。そこでマルケと同じ国立装飾美術学校に籍を置きつつ、国立美術学校にも聴講生として通っていました。その教室で優等生として、モロー先生にいつも褒められていたのがルオーです。 1903年、マルケはマティスやルオーらとともに、自分たちの美術展覧会サロン・ドートンヌを立ち上げます。そして1905年のサロン・ドートンヌにて、原色の激しい色使いと荒々しい筆触が特徴的な一群の絵が、批評家ヴォークセルによってフォーヴ(野獣)と評されたことから、マティスやマルケはフォーヴィスト(野獣派)と呼ばれるようになりました。
マティス「コリウールの屋根」(1905)
マルケ「釣り船」(1906)
おかげで1905年、マルケはワイン商のドリュエとスポンサー契約を結び、経済的な心配をすることなく絵を描くことができるようになります。その2年後の1907年、息子の成功を喜びながら、マルケの母は亡くなりました。
マルケ「サン・タドレスの海岸」(1906)
マルケの生活は充実していました。1908年、マルケはサン=ミシェル河岸のマティスのアトリエを譲り受け、そこに1931年まで住んで絵を描きます。1911年頃から、マルケは裸婦画を多く描くようになりますが、それはモデルのイヴォンヌとの関係抜きには語れません。イヴォンヌは長年マルケのパートナーでしたが、結婚までには至りませんでした。
マルケ「二人の友達」(1912)
マルケが結婚したのは1923年、47歳のときです。1920年、アルジェに旅行したマルケは、現地ガイドをしていたマルセルに出会って、愛を育んだのです。 参考文献:1991年「マルケ展」図録(東京新聞)
翠波画廊ではマルケ作品をご紹介しています
|
5分で身につくアートの教養、定期配信中!
登録は無料!下記よりご登録ください
登録は無料!
メールマガジンにぜひご登録ください ↓↓
【配信コンテンツ】
1. 役立つアートコラム(月3~4回配信)
読むだけで最新のアートシーンや絵画の知識が身につくコラム。アート初心者からコレクターの方まで必読です。
2. イベント情報
画廊でのワークショップやセミナーのご案内をいち早くお知らせ!
3. 展示会のご案内
翠波画廊で開催する展覧会や、全国百貨店での作家来日展情報などをお知らせいたします。
私たちにできること
1
絵画購入のご相談
些細なこともお気軽にご相談ください。
30日以内の返品保証など
安心のサービスをご用意
2
お部屋やご予算に合わせた
絵画のご提案
お客様のご要望をお伺いし、
1,500点以上の豊富な作品から
最適な一枚をご提案いたします。